2016年8月18日木曜日
打田峨者ん「落書あり≫NO MORE PEACE!!≪蓮は実に」(『有翼樹』)・・・
句集『有翼樹』(書肆山田)著者・打田峨者ん、1950年東京小金井生まれ。俳諧者、なぐり描き俳画者(内田峨(たかし)。
「追書」に、以下のように記してある。
本書、第三句集には一九九八年から今春までの二三八句を収め、編集は四季別の部立(雜(ぞう)を含む)に加えて「句日記」と「連作」、それら本文の前後に、¨さきぶれ”及び”なごり”の句を据えて構成した。既刊二句集との句の重複はない。
また、冒頭には、
俳句の言葉は、およそ個体であり、言うに事欠いて言えば”物塊¨である。折々ややもすると、あたかもそれが二本の指もしくは割り箸を使って、又はピンセットを以てヒョイと抓み上げることができるものででもあるかのような、そんな心持にさせられるのは、ひとり天涯に此の私だけであろうか❓(仮に私だけであったとしても、私はその運命を甘受し、あまつさえ運命愛(アモール・ファティ)へと育成するに毫も吝かではないのであるが――)
と述べ、後半に至るに、
ジャンク・アートやノイズ・ミュージックとして概念化され、洗練(無毒化)されて、¨市民権¨を得る前のノイズそのもの、ジャンクそれ自体としての音塊を、変則的リズム・ショットとして投げ込んでは亀裂の如き余白態を創り出すジェイミー・ミューアの言わばダダ的方法意識 ̄― これは私の中で、日本近代に於る¨常ならぬ人¨赤尾兜子の実験的俳諧精神とそのフモールの丹田に於て累(かさ)なり合うのである。
と言挙げしている。句歴28年、無所属、常に単独で俳諧・俳句をなしてきた打田峨者んの志と方法をよしとしよう。その昔?赤尾兜子こそはもっとも前衛的と云われた詰屈とした文体を生み出していた俳人だった。
打田峨者んのいくつかの句を挙げておこう。
雨一番 鉄葉(ブリキ)に春のオクターブ 峨者ん
天金に明治の塵や鷗外忌
本盗の束の間 帰燕の夕間暮
古書市や傍線紅き『智恵子抄』
1945.8.15
「せしめたり」―-雑音(ノイズ)を玉(ギョク)とせしめたり
2011.3.12―-極東アニミズムの不意の黄昏
原発忌 山川草木国土悉皆
9.19(土)未明――アメリカに牛耳られ安保法制
可決。戦後七〇年目の秋の事、折しも子規の忌日
終りたる長き「戦前」 柿を剥く
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