2018年5月6日日曜日

大岡頌司「勝鹿の/舎密の学の/をかととき」(「円錐」第77号)・・



「円錐」第77号(発行・澤好摩)の「一句縁縁」に、

勝鹿の
舎密の學の
をかととき     大岡頌司

の句について、和久井幹雄は以下のように記している。

 (前略)二年余りの「俳句評論」購読の中で、特に印象深く記憶していたのが掲句である。理由の一つとして江戸時代の地誌「利根川図志(・・)」の名をひっくり返して名付けた「利根川志図(・・)」という意表を突いた句集の名によるもの。もう一つは、「舎密学(せいみがく)」という江戸後期の「化学」の古い呼び名を、古利根川との関係で使うとは、思ってもみなかったことにある。(中略)
 敢えて上五・下五の「葛飾」「桔梗」の名に古名を用いて句集の序章とした大岡頌司の意図が感じられた。
 さて、問題は中七の「舎密の学」である。小生も化学を少し齧った関係で「舎密学」の名は知っていたが、これが古利根川との如何なる関係があるのか、全く予想だに出来なかった。(中略)
 「水豊かに美しかった古利根の面影の上にプレ化学書に描かれるレトルト図などが配される結合の妙、取り合わせの楽しさがおっとりとよみがえってくる一句だ」と。
 流石に郁乎である。「舎密学」から宇田川榕庵の化学書『舎密開宗(せいみかいそう)』に想いを馳せ、『舎密開宗』にある「レトルト図」(蒸留する際に用いるガラス製の容器』を利根川に配する妙に気が付いたのは、郁乎の慧眼の最たるものであろう。

と述べ、復刻版の古利根川全図をコピーしつなげて、

 レトルトを配するに相応しい場所を探したところ、「印旛沼」に辿り着いた。人魂のような形をした印旛沼の尻尾のような長い水路の部分が丁度レトルトの「管(くだ)」の部分に相当すると感じた。

と述べている。これもまた慧眼であろう。さらに郁乎に〈あさつてがけふの満月でないレトルトになりたい〉という句があるとも言っている。

とまれ、「円錐」今号の目玉は、なんといっても第二回円錐新鋭作品賞の発表である。三名に各選者推薦の賞となっている。以下に各人一句をあげよう。

*澤好摩推薦「花車賞」
  吉凶の出ぬ初夢でありにけり     石原百合子
*山田耕司推薦「白桃賞」
  五階にも秋は来てゐる紙の皿      高梨 章
*樋口由紀子推薦「夢前賞」
  蠍座や公園ぬるくつるみあふ      大塚 凱

 それともう一つ、今泉康弘の連載「諧謔と無ー永田耕衣における禅」第6回も読ませる。今回は「根源俳句」に多くの論がついやされている。そういえばかつて「船団」で、林田紀音夫と仁平勝が往復書簡を交わしていて、もちろん前衛俳句の理論がダメだったという仁平勝に林田紀音夫はついに明確には答えられないまま、平凡なようだが、私もまた、俳句という奇形の文体に生きる証を托すると誠実に答え、同時に、波止影夫が「根源精神の極限を言へば、無季俳句精神である」と書いた時から俳句の局面は大きく変わっていないと述べていたのだった。愚生はといえば、別のところで林田紀音夫が現代の猥雑さに賭けるために現代仮名遣いなのだと語ったのを契機に、意志として歴史的仮名遣いを辞めたのを記憶している。 



           撮影・葛城綾呂 パンジーゼラニウム↑



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