2018年5月5日土曜日

堀越胡流「半身の埋まる地蔵と春惜しむ」(『白髪』)・・

 

 堀越胡流第三句集『白髪』(現代俳句協会)、帯文は池田澄子、それには、

 この作者に注目していなかった私が恥ずかしい。自然体だから見えるもの、叫ばないから他者に伝わるもの。一度きりの誕生と死の間で寿命を少しずつ使いながらの、はにかんだ呟きを聞き漏らしたくない。

とある。それを、林桂は解説「白髪の思想」の結びに、「『地味』で『禁欲的』と中里に評された従来の胡流の作風が生かされたもの」と述べているのであろう。そしてまた、

 胡流は日常、生活の中で詠う人である。机に向かって、言葉を生み出すタイプではない。しかし、だからと言って生活、日常の記録ではない。その中での自分の思いを書き留める人である。亡き父母を恋い、妻を慈しみ、子、孫を思う。古いしきたりが残る農村部の町で恙なく暮らす。句集の全体像からは、そんな胡流が浮かぶ。しかし、それが日々の暮らしの記録に向かうものかというと違っている。むしろ、そこで生きる胡流の心の動きが描かれていて、日常、生活は遠景に退いていゆく。

とも記されている。著者のシンプルな「あとがき」には、

 「石人」の相葉有流先生、「言霊」の中里麦外先生に、合わせて四十年以上もの間、ご指導いただいてきたが、この辺りで一区切りつけ、自らの歩を進めたい衝動にかられ、思い切ることにした。

とある。集名に因む句は、

  白髪の兄嫁と春惜しみけり        胡流

だろう。ともあれ、本集より、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  冬ざれを通り抜けねば喪に着けず
  今朝両目もらいて達磨焚かれけり
  香りなき桜が好きで君が好き
  陽炎の中なら嘘も許される
  芋の露すぐにひとつになりたがる
  寿命より一日を花に使いけり
  孤独死は死の王道よ虎落笛
  赤城颪か榛名颪か父母の墓
  田水張りこの世の空を二倍にす
  夜の明けぬ日は一度きり百千鳥

堀越胡流(ほりこし・こりゅう)、昭和18年、群馬県前橋市生まれ。


★閑話休題・・・

 5月3日、仁平勝に、先日亡くなった首くくり栲象(タクさん)の盟友・風倉匠の「ピアノ狂詩曲」とパフォーマンス映像、赤瀬川原平の描いた風倉匠の千円札のなかの肖像画があると促されて、埼玉県立現代美術館「モダンアート再来ーダリ、ウォ―ホルから草間彌生まで」を観た。その帰路、武蔵野線終点府中本町で降りたら大國魂神社例大祭「くらやみ祭」(3日~6日)であった。



              撮影・葛城綾呂 ヒメジョオン↑


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