2019年2月2日土曜日

白石正人「狼声の凛乎たらずば絶え果てよ」(2・2トツゼン府中句会?)・・



 多くの人が初顔合わせの2・2トツゼン府中句会?が、府中市市民活動活動センタープラッツ6F第4会議室で行われた。いわゆる俳人協会系VS非俳人協会系の激突というには、いささか憚れるが、一応、何でもありの句会、しかし、そこは定型のフィールドで老若そろえての勝負となった。ただ、愚生は相変わらず、句会の探知レーダーにかからない?低空飛行だったのである。それでも有意義、かつ楽しい句座であったのは言うを俟たない。
 以下に一人一句を挙げておこう。

  凍星や剥落しつつ征く野犬      西田克憲
  なみになみふれてねむたき恋人よ   表健太郎
  紫雲英野のひかりは盥母がゐる   鳥居真里子
  
  春泥や
  早も夕べの
  煮凝るや             酒巻英一郎 

  その影の向かうへ散りて山桜     椎名果歩
  着ぶくれて老母ひな鳥となりをる   福田鬼晶
  轢死ありこのお降りの片隅に     今泉康弘
  権現へ冬鹿の糞踏みちらし      白石正人 

  白の
  石の
  正しき誠
  人に春               大井恒行 




★閑話休題・・堀江実「三人の『K』と流刑地へ」(「あいだ」245)・・


「あいだ」246(『あいだ』の会・月刊2019年1月2日刊)、「K」とは風倉匠のことである。そのKは、(『機關12 風倉匠特集』、海鳥社1981)と(『時計の振子、風倉匠』、佐野画廊/書肆山田。1996)と『風倉匠 さわれる原風景を探す』展カタログ、大分市美術館、2002』)とでわずかな記述の差違がある。それには(以下は、大分美術館のカタログのものを引用する)、

 1973(37歳)11月北海道・網走に移り住み、カフカの『流刑地にて』の映画化を試みる。2年間続けるものの結局完成には至らなかった。

 と記されている。そこに拘ったわけを堀江実はドキュメンタリー映画『首くくり栲象の庭』の編集作業の折り、首くくり栲象から「上京して最初に出会った芸術家として」何度も風倉匠の名を聞かされた、という。そうして完成した映画は「栲象さんと浅からぬ縁のある中野ZEROホールでおこなった」(2016年・堀江実)のである。

 風倉さんはそれでもなお『流刑地にて』完成の欲望を絶やさなかったとのことだが、ついに完成させることなく、2007年にこの世を去った。

 2019年現在、未完成となったその映画は、風倉さんの多くの作品とともに大分市美術館に保管されている。フィルムは未だ一般公開されたことがなく、今後もその予定はないという。私にとっては、まるでカフカの『城』(1926)のように、たどり着こうにもたどり着けない目的地である。(中略)
 風倉さんを通じて私が最終的に目指すのは、カフカの小説『流刑地にて』の劇映画化にほかならない。そして、その具体的な第一歩は、処刑機械をつくることでなければならない。(中略)
 そしてそういった未知のひとつ、今回の本丸と言ってもいい北海道・網走へと、私はまもなく旅立つ予定である。イニシャル「K」である風倉、カフカ、首くくり栲象を同行者として、真冬の流刑地にて、雪原の彼方に私自身が何を見出すのか。何を掴みとることができるのか。その旅を一区切りとして、いよいよ私は処刑機械の製作へと動き出すだろう。

とあった。




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