2020年2月18日火曜日

中田剛「大花火仕舞けばけばしくなりぬ」(「白茅」第20号・休刊号)・・・



 「白茅」第20号(白茅俳句会)、「編集後記」に坂内文應は、「小誌『白茅』は、この二十号をもってひと休みとなる」と記し、また、羽野里美は「『白茅』休刊ののちも、神奈川と新潟の句会は続けて」いくと記している。創刊から7年の歳月を閲している。「ひと休み」というからには、再刊を目指しておられるのだろう。
 本号には、「白茅アンケート」として、「❶いま一番関心のあること(世情から日常まで、何でも、感銘を受けた本、絵、音楽など)。❷俳句、専門分野に関して、いま最も感じている問題点や所感など。❸日頃のモットー(人生観、世界観、生活信条など何でも)。❹直近のお仕事、テーマ(終わったもの、これからの予定)。❺小誌『白茅』誌の印象。提言など」とあり、60数名の方々が答えている。愚生のような覗き見の趣味のある者にはけっこう面白いが、紙幅もあるので、ここでは安井浩司の回答を紹介しておきたい(こうしたアンケートに答えた例はごく少ないので)。

 安井浩司(結社に所属せず)
➀特に無し。②俳句形式の真の源泉とは何か。③たとえ〈迷走〉と思われようと、ただ〈歩む〉のみの思いを、詩の営為の根底に据えて―。④俳句形式における「絶対言語」とめぐり会う旅ーそれは今後共、不変と申しておこう。⑤坂内文應句集『天真』の根源の詩精神を継ぎ、「白茅」誌の再出発を祈る。

 あと一つは、青木亮人の連載「俳句と、周りの景色(20)/述志」、その結語を引いておきたい。

(前略)ところで、述志としての俳句はいつ頃まで存在したのだろう。大正生まれの髙柳重信や三橋敏雄、飯田龍太、森澄雄等の句群には述志の風貌がまだ残っていたかに感じられる。激しい志を底に湛えて俳諧に遊ぶ彼らは常に孤独で、しかも翳りを帯びた矜持があった。杜甫や保田のように、頑として変わらぬ俗世間に敗北しつつも、「永劫」の詩文学を信じ、俳諧を守り、支えようとした俳人たち。俳句を「御用文学」と取り違えた俳人群の称賛に包まれながら、戦後の経済繁栄のさ中に、孤独に耐えつつ、

  流れ弾や父の座に草生い茂り     敏雄

 最後に句作品の中から、一人一句を以下に挙げておこう。

  憶ふべし真葛の雨に消ゆるもの       坂内文應
  知らぬうち大勢死んで秋立てり       中田 剛
  法師蟬声の減りゆくきのふけふ      石川やす子
  大昼寝してゐる石もありにけり       神蛇 広
  バザールは虹のかけらを瓶に詰め      久保京子
  愛さるる人となりたし風五月       熊瀬川貴晶
  アメンボや流れて戻りまた流れ      小山宗太郎
  菊を餉に女人家族はまどかなり      清野ゆう子
  令和元年水無月晦日八十六歳(やそむとせ) 長谷部司
  蟬時雨あらたな声を加へては        服部由貴
  炎天や我を踏みゆくもの何ぞ        羽野里美
  高校に女流剣士や立葵           本間良子
  向日葵の頸動脈を断ちにけり        山鹿浩子

  

              撮影・鈴木純一 水ぬるむ ↑

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