2020年2月20日木曜日

米岡隆文「スウィングの雪崩の音の遥かより」(「杭」第78号)・・・



  「杭」第78号(杭俳句会)、前田霧人の健筆ぶりがうかがえる。「歳時記雑話」に「俳人の一句」さらに「編集後記」。「歳時記雑話」は「(2)月はどっちに出ている」。なかの「(3)ねぶりのひま」のなかに、

(前略)即ち、現行の歳時記は現代俳句協会編『現代俳句歳時記』の「序にかえて」にいう「かつての太陽太陰暦との妥協の産物」などではない正真正銘の太陽暦に基づく歳時記である。
『改暦弁』の誤謬を看破し現行の歳時記に道筋を付けたのは明治七年(一八七四)刊(五月、為山序)の俳諧撰集、四睡庵壺公(しすいあんここう)編『ねぶりのひま』である。

 という。そして、その根幹部分を引用したのち、

 『ねぶりのひま』は、新暦をつぶさに読み解くことにより、旧暦の二十四節気はそのまま太陽暦の新暦に用いることが出来ることを十分に理解すると共に、「暦は公布也、前二書は家言也。」として、『改暦弁』は暦学的(天文学的)根拠のない、誤謬の恐れのある私見であることを見事に看破している。
 また、「すでに二月の始に立春の節あり。」として、旧暦歳時記と同じく立春などによる季節区分が可能であり、月次割の区分も一ヶ月ずらせばよいことを示唆し、加えて「二月を初春とすれば一月は冬なり。されども年のはじめなれば、その言葉なくて叶わず。」として、「大かた是まで歳旦に用い来る」題を「新年の題」として別掲し、旧暦歳時記から新暦歳時記へのスムーズな移行手順を明示する。
 『ねぶりひま』すぐあと、明治七年八月に最初の太陽暦歳時記が刊行されるが、春夏秋冬、新年の部立てを完全な形で最初に用いた新暦歳時記が誕生するのは、それから三五年後、明治四二年(一九〇九)のことである。


との述べている。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。

  頭上の花火雄のゴリラがドラミング  稲垣濤吾
  九谷焼の小皿に載せて秋満開     江川昌子
  育ち行く孫の自慢や秋深し      大橋総子
  あるがまま生きて悔いなし冬の虹   岡島 衛
  俳諧の戯義の世界や薄紅葉      髙橋宇雀
  朝寒しメリーゴーランドの馬震へ  田中さかえ
  マチネーの無伴奏バッハ秋暑し   田村さとこ
  猫の目の以心伝心春の月       辻本冷湖
  ともに棲む修羅も仏も年用意     鶴羽葉子
  嬰の名を歌音と名付け八月尽    中里日日起
  わが日本戦に負けて国栄える     中村貫治
  秋の夜半哲学的に時事悶々      中室久朝
  雪割れて乾ききつたる冬の空     花城功子
  入相の鐘に急かるる法師蝉      平井 翔
  でじたるな夜のあなろぐなしぐれかな 前田霧人
  魂は宇宙に逝きし秋天に      三木冨士子
  有明の磯の香りとのり筏      山下都代美
  天地創造向日葵がお手伝い      米岡隆文
  一病と吾 秋の楕円の中心に     綿原芳美


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