2020年2月3日月曜日

遠山陽子「梟や肉がくれなる尾骨恥骨」(「弦」第42号)・・



 「弦」第42号(弦楽社)、表紙裏には年賀の挨拶がしるされている。遠山陽子「平成から令和へ 二〇一九年」のおよそ百句が、冬・春・夏・秋と巻頭にある。論考は齋藤愼爾「アカルサハ、ホロビノ姿ー現代俳句の〈現在〉」、そして、遠山陽子の句を読んだ福田若之「『赤』の平成、『白』の令和ー色彩を読む」、また、今泉康弘「肛門と傷兵ー三橋敏雄における徴兵」、巻尾は遠山陽子「三橋敏雄を読む(5)」。執筆者それぞれの特質と鋭さがよく出ている。齋藤愼爾は、最近、深夜叢書社からも多数の著書がある原満三寿に、しきりと「私より一歳年下でありながら私淑している」「兄事している」と言っている。もとより原満三寿は、かつて金子兜太が「海程」を同人誌から結社にするといったときに、「海程」を辞した人だ。その後「ゴリラ」という雑誌を出していたし、金子光晴研究では、第一人者だった。愚生と違って、酒はめっぽう強かった。多賀芳子宅での句会では、谷佳紀とともに注目の人であった。ワヤンの公演では、会場で偶然にお会いしたこともある。先般の句集『風の図譜』(深夜叢書社)には、句もさることながら、中の詩編には、金子兜太晩年の交誼の復活、名はイニシャルだったが、明らかに多賀芳子の葬儀にまつわる描写など、胸を詰まらせた。
 福田若之は、遠山陽子「大寒や鷹の脳(なずき)の黒からむ」の句について、

 この句を前に、鷹の遺骸を引き裂いて、「実際の鷹の脳の色はー」などと語ってみてもはじまらないだろう。高屋窓秋が《頭の中で白い夏野となつてゐる》と句にした、あの「白い夏野」と同じことだ。「鷹の脳」は、おそらく、大きさやかたちさえ不明なまま思い描かれているにすぎない。見えてなどいないのだ。おそらく、そのことによって、一句の言葉は、読み手にそっと寄り添ってくれている。「鷹の脳の黒からむ」と想像するのと同じようにして、「黒夕日」のことを思い浮かべればよいのだろう。

 と記している。最後に、比較的若い世代で、現在、新興俳句について、資料をもって語らせたら、彼の右に出るものはいないだろう今泉康弘は、

 (前略)だが、三鬼は傷兵の句を作っていた(『西東三鬼全句集』未収録)
公園に傷兵を残し夜の薔薇   三鬼  『朝日新聞』一九四〇・五・十   
 この句には傷兵が描かれている。しかし、ここには白泉及び敏雄の傷兵の句とは異なるものがある。三鬼にとって傷兵は「見」る対象である。(中略)三鬼は傷兵に対して、戦時下の不穏さを表わす光景と見なし、違和感を感じている。さらに「夜の薔薇」という一種ロマンティックで官能的なものを配している。(中略)三鬼はそうやって状況への違和感を表現した。したがって、三鬼は傷兵にみずからを重ねたのではない。その点が、白泉・敏雄の傷兵の句と異なる。 

 と述べている。つまり、渡邊白泉「傷兵とともに寒天をかぶり歩む」(「俳句研究」一九三九・一年)、三橋敏雄「傷兵に遭ひ別れたり落暉蹴る」(「セルパン」一九四〇・十)と描かれた傷兵は、

 自分と「ともに」存在するものであり、同じ暗澹たる「寒天」を戴いていく存在だ。このように傷兵と自分を重ねること。これは自分もやがて徴兵されるだろうという不安によるものであり、「赤紙(召集令状)の恐怖に内心つねにおびえている」ことである。

 であったのだ。ともあれ、以下に、集中の遠山陽子の句より、いくつかを挙げておこう。

  心筋のどこか軋みて初氷         陽子
  睡眠剤に薔薇の花粉の混じりをり
  散る花や縄文土器に蓋のなく
  梅雨の世へペットボトルのごとんと出る
  下総や地図にはあらぬ夏霞
  紅葉かつ散るがんばらないがんばれない



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