2020年2月8日土曜日

森潮「枇杷の種皿に残して昼寝かな」(『種子』)・・・



 森潮第一句集『種子』(文學の森)、待望の第一句集であるが、収載句は、平成元年から平成22年までの428句、つまり、森潮の父である森澄雄が亡くなるまでの句群である。著者「あとがき」には、昭和63年8月17日「突然母アキ子が心筋梗塞で亡くなり」「母の残念な死を思えば、父の仕事を続けさせることが、私の使命のように思えた」、そのときから、「菊池一雄先生に相談し、森潮を逆さにした鵜匠慎という俳号を密かに作っていただき、『杉』に投句。初めて掲載されたのが平成元年二月号であった」という。その後、森澄雄が平成7年12月21日、脳溢血でたおれ、回復したのちは、いつも車椅子を押していた森潮が側にいた。のちに楸邨門のライバルだった金子兜太の晩年も長男の真土が付き添っていたように。しかし、飯田龍太の息子も、金子兜太の息子も俳人にはならなかった。しかし、ほぼ同世代と思われる森潮は俳人となり、主宰「杉」を継いだ。だからというわけでもないが、愚生は、澄雄亡きあと、「杉」主宰となった後の句を読みたい、と思っていた。
 句集の劈頭には、

  我もまた一つの闇か胡桃の実     

 の句が、献じられている。また、句集名の由来については、数学者岡潔の『春宵十話』から、

  数学に最も近いのは百姓だといえる。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある。

 に因むと記されている。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。

  家貧し陽はさんさんと葉鶏頭
  夜昼のなくて誠や猫の恋
  安達太良はけふ雲のなか檀の実

    長崎県福江島に曽祖父の生家を父と訪ぬ
  曾祖父はかくれ耶蘇なり花茨
    母七回忌
  胎中のわれの逆しま盆の月
    十二月二十一日、父脳溢血で倒れる
  うるみつつ老いの瞳や冬籠
    三月二十日、アフガニスタンに続きイラク戦争始まる
  誤爆といふ言葉は悲し蕗の薹
  湖と空あはひはてなき雁渡し    
  常臥しの父を抱へて初湯かな
    一月二十九日、誕生日
  わが干支のはじめにもどり寒椿
    八月十八日、父澄雄死す
  見えてゐて帰らぬ父や秋の風  
  死者生者包みてゐたる虫の闇
 
  森潮(もり・うしお) 昭和24年、東京生まれ。



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