2021年9月21日火曜日

星野椿「問はれても名も無き山や粧へる」(『遥か』)・・・


  星野椿第11句集『遥か』(玉藻社)、序は星野高士、それには、


 いよいよ「玉藻」が創刊九十一周年になる。

 そして同い年なのが星野椿。

 そのおふくろが第十一句集「遥か」を出すことになった。(中略)

 これは私共だけではなく、世界中の行事や祝い事が中止や延期になってしまった。

 そんな中でおふくろが句集を出すというのは暗い世の中で明るいことである。常に前向きなおふくろならではの選択でもあり、迷いはなかったであろう。

 「遥か」という題名は考えてのことだと思うが、未来を見据えた題名でり、希望がある。(中略)

 今後益々元気で活躍を期待していきたく、つたない序文の筆をとった次第である。

 乾杯!


 とあった。集名に因む句は、


   あのことも遥かとなりし梅雨雫    椿


であろう。表4には、色紙に染筆された、


   花に住みあゝ幸せと思ふ時


の句も掲げられている。 著者「あとがき」の中に、


 『虚子亰遊句録』という一冊の和綴じの本がある。昭和二十二年に中田余瓶氏が京都に過された時の虚子の句を一冊にまとめたものである。

 昭和二十二年と云えば終戦まもなく日本はまだ戦後の混乱の中にあった頃であるにも拘わらずこんな立派な本が出来たいたとは俳句の底力である。その本は明治時代からのものを拾った余瓶氏の花鳥諷詠詩である。虚子の句と一緒に余瓶氏も句の上で遊んでいる感じである。

  朧夜や一力を出る小提灯

  枝豆や舞妓の顔に月上る  (中略)

  山桜四月八日の祭かな

 ここで私ははたと驚いた。

 四月八日とは虚子の忌日ではないか。何かそこに暗示があるような一句である。

  舟ゆくがまゝに緑の嵐山

 そして無季句

  祇王寺の留守の扉や押せば開く

 花の扉としないところが又魅力である。その時一緒に居たのは高浜年尾であったと記されていた。

 何と無季ながら奥行の広い句ではないか。

  静かさや松に花ある龍安寺

  大根の花紫野大覚寺

  春雨や忽ち曇る鷹が峰  (中略)

 中田余瓶氏の京都のお宅には多分私が十九歳の頃、虚子・立子について泊めて頂いた記憶がある。

 広い広いお宅であった。今は能楽堂になってると聞き、まあ素敵と感動した。一度はお訪ねしてみたい処である。


とあった。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  笹鳴や結界もなき寺の木戸        椿

  陽炎や人は遠くをいつも恋ひ

  惜春の蝶を仏と思ふ日よ

  秋声や俳句川柳育つ国

  平成を惜しみて春を惜しみけり

  若き日は誰にもありて花に佇つ

  秋日背に眠くなるとは贅沢な

  叡山に虚子の塔あり雪女

  酔芙蓉出かける時は白い色

  亰の月鎌倉の月同じ風

  有馬先生見事な最期十二月

  迷走の政治と共に去年今年

  立子忌の果して初音こぼれけり

  ポスト迄夕鶯を伴として

  明易し今日はワクチン予約の日  

  

 星野椿(ほしの・つばき) 1930年2月21日~、東京市生まれ。



    撮影・芽夢野うのき「落ち葉動かす手旗信号ふりにけり」↑

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