「花林花」Vol,13(花林花俳句会)、「花林花の作家 その7」は狩野敏也、百句掲載と略歴、一句鑑賞のほか、作家論を高澤晶子が書いている。たただ、無念だったろうと思うのは、巻尾、最後のページに「二〇一九年二月三日、狩野敏也氏が逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします」とあったこと。たぶん、この「花林花」掲載の句が絶筆に相当しているかも知れない。特集は西東三鬼、相変わらず、時代を超えて三鬼は人気のようだ。本誌代表の高澤晶子は鈴木六男の弟子だから、系譜からすれば三鬼の孫弟子といえようか。西東三鬼論は、鈴木光影「とぼけた貴族ー西東三鬼と群衆」で、これまでの三鬼論のなかでも出色だと思うが、例えば「枯蓮のうごく時きてみなうごく」に「同時に全体主義に突き動かされた群衆心理の表出ともなっている」と読むのは、この句が作られた時期、根源俳句論争の時期だったことを思い合わせると、牽強付会の感がなきにしもあらずである。もっとも読者が勝手に読むのは、ファンタジーとしては可能だが、そこは冷静に読んだほうが、論全体の説得力がより増すはずであろうし、惜しいというべきか。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。
川辺より川面に強く秋の雨 高澤晶子
狐火や山みな低く死者を抱く 廣澤一枝
「殺すな」のバッジ出でくる衣がえ 石田恭介
よくあることで済ますんじゃねえよ俳句 北川 星
啓蟄や人は軍拡狂騒曲 榎並潤子
洋梨の丸味ばかりでない形姿 金井銀井
落ち鮎の発意は如何に反転す 狩野敏也
その日父ゐて笑声の砂日傘 原詩夏至
まくなぎになりかけてゐるときのあり 鈴木光影
七五三祝二十歳(しめいはひはたち)の君をまた見度く 島袋時子
巨星墜つ辺野古の海の晩夏光 福田淑女
胸騒ぎばかりしてばったんこ 宮﨑 裕
★閑話休題・・加藤知子「猪の眼のかなしむときのアドバルン」(「We」第7号より)・・
「We」(We社)は、創刊より順調に号を重ねている。九州は熊本発で、しかも詩歌全般に、気鋭の執筆者を求めていることが伺える。今号は、共同編集発行人の一人・加藤知子が渾身の「律動する常少女性~石牟礼道子の詩の原点へ」を執筆している。たぶん、愚生よりはかなり若い人が、石牟礼道子に魅せられるなどとは、考えていなかったので、水俣が近いという地域性もあるのかも知れない、と思ったりした。ただ、このことには、加藤知子みずから、
私が生まれた一九五五年は、水俣病発生(水俣病の公式確認は一九五六年)の一年後のことである。胎児性水俣病患者は私であったかも知れない。そして、いつまでも原因物質が特定されず、チッソが垂れ流すメチル水銀化合物に汚染された魚を食べ続けた水俣の漁民たちがいた。
このようなことから、私は石牟礼道子に近づいてみたいと思ったのである。彼女が対峙した「近代」と、我が内なる「近代」について、考えるよすがとしたい。
と記し、そのことを、
(前略)わが内なる近代(近代国家の恩恵を受けて生きる生活者)と如何に向き合い克服していくか。一方では同調圧力を躱しながら如何に自分を信じ通すか。最大の課題は、表現者の誇りを持ちながら、如何に方法論的に俳句作品として提示していくかである。
と結び近くで述べている。詩は詩でないものに多くを負っている。課題は石牟礼道子亡き後を、あるいは加藤知子が金子兜太と比べているけれども、いずれにしてもそののちを如何に生きるかが、生き残された者にこそ問われ続けることなのだろう。
ひかり凪へ 不知火おとめは常少女(とこおとめ) 知子
撮影・葛城綾呂↑
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