2019年3月1日金曜日

髙橋睦郎「放射能降らぬ屋根なし凄まじき」(『季語練習帖』)・・



 髙橋睦郎『季語練習帖』(書肆山田)、俳誌「澤」に、毎月、連載されているものを、「一先ず一〇一回までを纏めて」「一回が十一句、一〇一回で一一一一句。めでたいピンゾロになる」(「あとがき」)という句数で収めている。右のページ頭に一句、さらに、その季題にまつわる論(作句ノート)が付されて、左ページにその季題(季語)を詠んだ10句が載っている(本著原文は旧かな正漢字表記である)。現在も連載は進行中であるので、かならずや、この後にまた一本にまとめられるはずである。博捜、博覧強記にはつとに定評のある著者だが、本著では、言葉(季語)をめぐる造季語、新説の披歴にも果敢に挑んでいるさまが響いてくる。しかも、自らについても記されている。

  町師走わしりてわれは凩か    (中略)
 
 昭和十二年十二月十五日、日本軍の南京占領から二日目。八幡製鉄のブリキ工だった父は男の初子(ういご)に慶んだらしいが、非常時の労働強化で急性肺炎に罹り、町医者の手遅れもあって、翌十三年三月に急逝している。父の死の翌日には長姉死亡。次姉を父方の叔母に奪われて、母と二人だけの母子家庭の漂流が始まるわけだが、にもかかわらずというべきか、だからこそというべきか、私は十二月、というより師走の忙しさが好きだ。
(中略)
  陋巷の空の真澄も師走かな

十二月十五日、愚生と誕生日が同じである。親近感がわく(著者には迷惑かもしれないが・・・)。愚生は母子家庭ならぬ、親戚にあずけられ伯父一家に育てられた。
 
  初御空暗茜(くらあかね)こそめでたけれ 新年  (中略)
 
 おそらく近代俳句の発明した新季語と思われる「初茜」の明らかな根には、この美しい枕詞(愚生・注「茜さす」)があるとおもわれる。しかし、新千年紀第一年に九・一一事件を体験した記憶を消すことができない私たちには、大旦の空の茜に血の匂いを嗅ぐことは避けられまい。
 (中略)
 初明り地表いづちも血を噴けり
 
また、「茂り茂り茂り茂りぬ猶茂る 夏」では、

 大災害は東日本大震災と命名されたが、じつは東北・関東という一部地域にとどまらず、日本全体、いや、地球全体の大災というべきだろう。(中略)いまは福島原子力発電所周辺の人々が流浪に追い込まれている。しかし、それが日本全体、世界全体に拡がる可能性を、杞憂と言ってはいられまい。
(中略)

 作麼生(そもさん)何シーベルトこの茂り
 茂りとふ滅びの景を夕日本

ともあれ、句のみになるが、以下にいくつか挙げておきたい。

  さくらばな明るし暗し日の真昼
  又這入る萬年床や啓蟄(むしいだし)
  われを憎む誰誰死ぬるほとゝぎす 
  野分揺り悶ゆる木あり悦ぶ木
  永遠は此処にありけり秋の暮
  遠足の子等みな老となりしはや
  殺さねば得ずよ玉絹玉衣
  姫始こゑの始はあ(・)とばかり
  辞儀扇すなはち踊りはじめけり
  小草にも帰り咲くあり小六月
  残暑十日秋暑廿日と続きけり
  野遊びの群れ一人増え二人増え
  父の日やむかし父性は不言(ものいはず)  
  幻の北九州忌われにあり
  虹占といふ占立てよ陰陽師
  別れ雪かたちばかりに降りて止む
  たまたまや節々痛み泣笑ひ
  詩に痩すや秋思つくしの國に生れ
  看取りの夜明けて緑の庭眩し

髙橋睦郎(たかはし・むつお)1937年生まれ。


          撮影・葛城綾呂↑

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