2022年1月3日月曜日

秦夕美「おもはねば生れぬあの世や冬紅葉」(「GA」88号)・・


 「GA」88号(編集発行人・秦夕美)、「あとがき」には、


   明けましておめでとうございます

 いろいろありすぎた年も明け、年齢相応に元気で生活している。孫が就職。寂しいよりも解放感。二十三年、濃密に付き合ってきた。ありがたい月日だった。あとは自分のことだけ考えて寿命まで精一杯生きよう。句集を作ることにした。なにかしてないと暇だ。いつも、これが最後と思いながら句集をだしてきた。。ただ、贈る相手があの世に引っ越し、年々少なくなっていく。若い世代にも読んでほしいとは思うものの、暇な婆さんの書いたものなど迷惑かな?同世代を体験した者の死生観は、通じないかもしれない。


 とあった。この冊子には、他にエッセイ「言葉のあわいに/雲」、「蕪村へ」2編がある。ともあれ、本号より、句と歌をいくつか挙げておきたい。


  生き死にはあなたまかせや窓の月       夕美

  やさしさを盾となしたり月見草

  手さぐりに今日は終りぬ糸とんぼ

  川音は秋はこぶらし黄泉の椅子

  あの日あの時は秋まづ水を呑む

  青天へ老ゆ悔ゆ報ゆ曼珠沙華

  その矢先わたしに向けてゐるのかゐないのか風が矢先をすこし狂はす

  いまは言葉を放ちたくない唇に蜜の濃度をたしかめてゐる

  一週間前に教へてくれないか辻褄合はせで死仕度する

  穢土浄土同じ土だと言ひし人ときに思ひぬ黄昏の木々



★閑話休題・・夏礼子「万歳をして手袋の干されけり」(「戛戛」第133号より)・・


「戛戛」第133号(詭激時代社)、「あとがき」の部分に、


 古くからの文学同行者の夏礼子の俳句です。度々登壇して援けられていますが、遅ればせながらプロフィールを、

 ー昭和二十四年八月二十四日、香川県仲多度郡多度津町生。

 十代の随筆「無帽」から文芸同人誌「白翔」を経て、俳誌「川」「若狭」共に終刊まで在籍。先の松山足羽「川」では、長く主要コーナーである同人投句欄鑑賞を担当していた重鎮で、現在俳誌「香天」同人。俳人協会会員、現代俳句協会会員。

 題名に決めさせてもらった、「地球日和」という言葉と句に、コロナ禍何するものぞとの希求を感じてしまうのは・・・、そして一連には、

 早く取り戻したいとの思いの本来の日常のあるをそこかしこに垣間見ているのでした。そして先号の「二階のベランダから」ですが、

そこからでは手も届かないし援けることも出来ないというもので・・・、それにしても幼児虐待も若年自殺も驚かされる殺人事件もそうですが、どうしてそんな残虐な行動になるのか、それらがコロナ禍と同様に薄く広く蔓延ってしまった日本の現代病かも知れなくて、そして、意味もなく・・・、なんていえば語弊を呼ぶだろうか。

 何だか書くのが怖くなって、核心が見えなくなって・・・、それにしてもコロナ禍というものに雁字搦めになった影響だろうか。

 今号では逆にそうでない人間関係もあるということに想いを馳せてみたのだった。


 とあった。ともあれ、その夏礼子「地球日和」30句から以下にいくつか挙げておこう。


    野遊びの置いてけぼりにされる      礼子

    言い訳はせぬすかんぽのポキポキと

    ままごとのみんな留守です犬ふぐり

    十二月八日歯ブラシ買い換える

    しゃぼん玉風をうつしているばかり



          撮影・鈴木純一「芋頭まずは上座と誘われ」↑

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