救仁郷由美子「安井浩司『自選句抄 友よ』の句を読む」(3)
南北のなんでまひるの萩や馬 浩司
南北は、北と南。南北朝(一三三六~一三九二年)と広辞苑に載る。『友よ』を文学史的な流れから見ることにして、「南北の」を南北朝五山文学と考えてみてはどうか。「まひるの」をニーチェの「ツァラトゥストラ」、「大いなる正后」以後の「まひる」、あらゆる可能性の時とするなら、安井の句「雪袴ツァラトゥストラ参ろうか」がある。
五山禅林において行われた五山文学に、連歌、謡曲、狂言などには、その後のあらゆる可能性の時からの急成長があったのに、「萩」を詠っていたが、衰退。なんで「萩」にこだわったままでいたのだろうかとの疑問の句となる。南北朝時代から馬の神事があったと言われるが、「なんで」「馬」なのか、半世紀も分からぬままに、「なんで」、「馬」と閉じる。
幼年や隠して植えるたばこぐさ 浩司
これまでの五句は語の歴史的背景をたよりとして読解したが、「幼年や」は、句のままに読める句である。「たばこぐさ」を中毒性のあるものの象徴とし、幼年の頃から自らの内に育てあげるものがあるとの意を表した一句。
『阿父學』(一九七四年)に収められた掲句に、二〇〇八年に発行された『安井浩司選句集』のインタビューの次のことばを添えれば、安井の俳句に表現されてきたテーマが見えることに気づかされる。
詩を書き続けることによって幼年を発見し、いささか傲慢な言い方をすれば、最近は 幼年を作る、すなわち「幼年創造」も行えるようになった気がするのです。己が幼年の深 層へ 立ち向かうほどに、この時間も空間も膨張するものであることを、そして今まで全く見えな かった新鮮な幼年や風土が起き上がってくることを、長い間の俳句の積み重ねで分かった感じがするのです。(一八三頁)
己が人生を出生に限定することなく、自由に創ることが俳句の大いなる可能性なのだと安井が語っている。
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