渡辺鮎太『蕉門の人々ーその発句と生涯』(ふらんす堂)、ブログタイトルにした句は、「芭蕉が『草庵に桃桜あり、門人に其角・嵐雪』と称えた」句。「あとがき」には、
今回、蕉門の十四人の発句と生涯を見てきて時間的に元禄を中心とする時代が見えた思いがする。更に、空間的に江戸、尾張、美濃、京都、近江などを旅し得た気がする。
とあった。本書の収載は十四人だが、その分量については、残されている資料にもよるだろうが、その分量に幅がある。当然のように其角は多く割かれている。が、全体をとおして渡辺鮎太の俳句(発句)観が色濃く反映されている。例えば、「許六」の項、
作風は理屈が勝っており、作句法は許六風の「取り合わせ(配合)」を用いたものが多い。
因みに、筆者は「取り合わせ(配合)」を「発句の毒」「発句の有りようを歪める論」と理解している。発句も、叙情詩の一分だと思うからである。(中略)
盗作・剽窃・類想が問題になるのは現今の俳壇でも同様である。恥を知ることが作句に於いて不可欠なのは、今も昔も変わりはない。
最後に、取り合わせの意図の見えない、技巧のない許六の発句を挙げておく。発句の本質を知らない者にも、たまには本来の意味での発句が生まれるものである。次の句にあるのは自然さ・実感・素直さである。
落雁の声のかさなる夜寒かな
夕やけの百姓赤し秋の風
清水の上から出たり春の月
また、「丈草」には、
この世の世俗なるもの・醜いものから離れ、欲得とか名誉とかからも離れ、勢力の拡大など眼中になく、純粋に敬慕できる師に出会えたことを至福とし、病気がちながら誰に諂うこともなく、虚偽やはったりなどに縁することなく、私欲なく誠実に生きて死に得たことは幸せでなくてなんであろうかー。(中略)
余談ながら、丈草の小さな墓は現在、師芭蕉の墓から程近い膳所の「龍が丘俳人墓地」の中に、「経塚」や他の蕉門の俳人らとともに建っている。国道の端に車の排気ガスの臭いに苛まれながらー。
と述べられている。愚生にも丈草に関する余談がある。眞鍋呉夫の句集『雪女』のなかに、
日本橋小網町釜屋の艾は江州伊吹山の産なりとぞ
丈艸(ぢやうさう)が好きで釜屋の艾(もぐさ)買ふ 呉夫
の句があって、この句があることを、現在も続く釜屋に知らせたところ、ほぼ一ヶ月分の「カマヤミニ」温灸が送られて来たことがある。愚生は、かつて40歳代初めころ約1年間、鍼灸師だった人を先生にして、数人で操体法研究会をやり、そのついでに温灸を習い、釜屋の艾や温灸を使っていたことがある。ともあれ、本書より、以下に蕉門の人々の一句を挙げておこう。
名月や畳の上に松の影 榎本其角
梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪
空も地もひとつになりぬ五月雨 杉山杉風
さみだれに小鮒をにぎる子供かな 志太野坡
捨舟のうちそとこほる入江かな 野沢凡兆
霜やけの手を吹てやる雪まろげ 羽紅尼
尾頭のこゝろもとなき海鼠哉 向井去来
淋しさの底ぬけてふるみぞれかな 内藤丈草
ゆりの花生(いけ)ればあちらむきたがる 各務支考
月に雁前は小海老の堅田かな 三上千那
十団子も小粒になりぬ秋の風 森川許六
たくましく八手は花になりにけり 江左尚白
水鳥やむかふの岸へつういつい 広瀬惟然
きゆる時は氷もきえてはしるなり 斎部路通
渡辺鮎太(わたなべ・あゆた) 1953年、埼玉県川口市生まれ。
★閑話休題・・有賀眞澄「あすみまかる拠って一夜さひとよ霧」(「萃(すい)展」)・・
画廊 珈琲 zaroff 企画展「有賀眞澄 萃(すい)展」。愚生は籠の鳥で行けないが、行きたい気持ちはある。よって案内をしておきたい。
・2022年1月8日(土)~18日(火)13時~19時(水曜日休廊・最終日17時まで)
・画廊 珈琲 Zaroff 151-0061 渋谷区初台1-11-9 五差路
電話 03-6322-9032
・最寄り駅 京王線・初台駅中央改札口を出る→(甲州街道)南口の階段を登り右へ→商店街を進みセブンイレブン角を右折徒歩1分。
芽夢野うのき「口角を吊り上げて見る霜の花」↑
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