月刊「俳句界」3月号(文學の森)、特集は「俳句は境涯の詩~境涯俳句を読む」である。論考は総論に秋尾敏「境涯の俳句史」、時代別の作品に、岩岡中正「①明治・大正に詠まれた境涯俳句」、角谷昌子「②昭和に詠まれた境涯俳句」、髙柳克弘「③平成・令和に詠まれた境涯俳句」。それぞれの境涯俳句には、加古宗也「村上鬼城」、福永法弘「富田木歩」、鈴木しげを「石田波郷」、松浦加古「野澤節子」、外山一機「村越化石」、大井恒行「折笠美秋」。「私の境涯を詠む」に、鈴木節子・岩淵喜代子・山﨑十生・中村雅樹。他に、「北斗賞受賞作家競詠」では、第12回受賞第一作に伊藤幹哲(まさのり)を含む12名の力作。また、第23回山本健吉評論賞は二名、山岸明子「死刑囚・大道寺将司と俳句」、柳元佑太「写生という奇怪なキメラ」の同時受賞、全文掲載。もう一本の特集は「私の追求したい季語」など、内容もなかなかの充実ぶりである。ここでは、愚生の論も載っているので、それに贔屓して、秋尾敏「境涯の俳句史」から、一部を引用しよう。
「境涯」は、江戸期には「境界」と書かれ、多くの俳書中に用例がある。(中略)
虚子は、特別の境涯を持つ人が境涯俳句を詠むことを否定していない。しかし、俳壇の構造が、虚子の答弁をきっかけに「境涯俳句」対「花鳥諷詠」という図式を作ってしまう。(中略)
昭和十七年、波郷が「鶴」に書いた「俳句は境涯を詠うものである。境涯とは何も悲劇的情緒の世界や隠遁の道ではない。又愛別離苦の詠嘆でもない。すでにある文学的劇的なものではなくて、日常の現実生活に徹していなくてはならない」という一文は、近代境涯俳句の原点とされるようになった。
波郷の主張は、虚子が特別の人のものと考えた境涯を、万人が持つそれぞれの状況と捉えた点で画期的であった。(中略)
境涯俳句は、社会が変化し、貧富の差が拡大する時代に繰り返し現れる。芭蕉、一茶、鬼城、波郷の時代はいずれも経済構造が変化し、新たな格差が作られる時代であった。
そして今、今日の格差社会の中で、また境涯俳句が注目され始めている。
従来と違うのは、社会の多様性が進行しているということである。障害や性差をはじめあらゆる既成の認識が脱構築されていく中で、従来、境涯と思われなかったものが境涯と認識されていくことも多いと考えられる。文学とは状況認識であり、俳句もまた世界観を基盤に置く。これからの俳人が、何を境涯と考えていくかに注目したい。
とあった。その意味で、注目は、「③平成・令和に詠まれた境涯俳句」かも知れない。髙柳克弘の選句には、現役の若い俳人も幾人かいる。あわせて、同号より、いく人かの作品を挙げておこう。
ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり 関 悦史
おとうとのやうな夫居る草雲雀 津川絵理子
一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之
薄給やさざんくわ積める芝のうへ 藤田哲史
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟
花虻に我が乳くさき体かな 如月真菜
処刑後も夕顔別当まだつるむ 牛島火宅
母の墓蛇は春の歯みせにゆく 鳥居真里子
寝間に本積んで春夜の腓かな 鈴木太郎
ものの芽や皆拝みたる形なる 辻村麻乃
十薬やあなたのお骨納めです 鈴木節子
麦踏のつづきのやうに消えにけり 岩淵喜代子
雪が降っていますね演出久世光彦 山﨑十生
外套や傘をさすのが大嫌ひ 西村麒麟
万の手のひとつを握り花野ゆく 藤井あかり
撮影・鈴木純一「とりどりに土の匂いも春の雨」↑
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