2014年2月11日火曜日

「日時計の会」解散から「天敵」「黄金海岸」へ・・・



前回に引き続いて、愚生らにとって、いわゆる「俳壇」ジャーナリズムとは別の場で、新しい俳句のシーーンを創り出すべく奮闘としていた坪内稔典・大本義幸の出した本(雑誌)について触れておこう。
1974年2月「第二次・日時計」は終刊号を出し、「日時計の会」は解散、その、購読予約者について、巻末に次のように記されている。
            
          (前略)
    雑誌「日時計」の予約購読者の方々は次の措置をとっていただくようお願いいたしま     す。
    ①残金を「黄金海岸」購読料とする
    ②残金を「天敵」の購読料とする
    ③残金の払い戻しを受ける
    以上①②③のうち、希望を通知して下さい。通地のない場合は①の措置をとらせてい    ただきます。
           (3) 
    会の解散により、旧同人を中心に二つの雑誌が刊行されます。それぞれに支援をお    願いいたします。

  そして、それぞれ「天敵」と「黄金海岸」の内容の広告が掲載されている。
 「天敵」(発行所・澤好摩)の同人は岩田憲夫・加藤路春・小比類巻真理子・澤好摩・矢上新八・横山康夫、「黄金海岸」(発行所・大本義幸)の同人は大本義幸・攝津幸彦・立岡正幸・坪内稔典・馬場善樹・宮石火呂次。

その間に「現代俳句」第一集(1976年3月、ぬ書房)が「第一回現代俳句シンポジュウム」に合わせるように刊行された。「現代俳句・第一集」の作品掲載参加費用は各人一万円だったように記憶している(あてにならないが・・)。
愚生は、中断していた句作を、この坪内稔典の原稿依頼によって文字通りの俳句復帰を試みた。その意味では、いまだに坪内稔典に恩義を感じている。ほぼ同時期に、愚生は、貧しく資金もなかったので、50句・50冊の手書きの私家版句集『秋(トキ)ノ詩(ウタ)』として刊行した。友人や、少なかったが何人かの若き俳人に謹呈。愚生27歳の折りの第一句集だった。
『現代俳句・第一集』の収載俳人は、28名、

浅井一邦・石寒太・岩田礼二・岩切雅人・大井恒行・大本義幸・小笠原靖和・岡田耕治・大屋達治・大森澄夫・久保純を(夫)・小海四夏夫・沢好摩・しょうり大・白木忠・摂津幸彦・瀧春樹・武馬久仁裕・竹本一平・坪内稔典・馬場善樹・林桂・藤原月彦(龍一郎)・穂積隆文・矢上新八・横山康夫・吉岡修二。評論の転載は富澤赤黄男「クロノスの舌、戦後言」、西東三鬼「雷光照らせ、他七編」、扉挿画・川口聖。

現在ではとても考えられないが、若い女性作家(俳人)の収載はゼロである。まだまだ、俳句が男性のものだった時代の産物というべきか。それとも、当時の女性にとってはまだまだ「俳句」の敷居が高かったのだろうか。現在は、どこの句会もほぼ女性がその人数を上回る。隔世の感がある。

ともあれ、『現代俳句』の裏表紙には、シンポジウムの案内が記されていた(結社に囚われない、多くの若き俳人たちを中心にした場と交流が具体的に出来上がった)。

   第一回現代俳句シンポジュウム
   時・一九七六年三月二十八日午前九時三十分~
   所・名古屋観会館
   講演・北川透氏
   テーマ・詩と自然と風土
   参加自由


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