左端は中村苑子↑
1995年7月8日、富士霊園に於いて髙柳重信十三回忌が行なわれた。世話人は高屋窓秋・三橋敏雄・中村苑子。参加者60名。
その日は、雨がちの一日で、新宿から貸切バスで富士霊園に向かった。
晴男の亡き重信、盟友であった三橋敏雄も晴男の噂が高かった。それを象徴するかのように、霊園での法要が行なわれるあいだは、雨霧を払って薄日さえ射したのだった。
行きのバスの中で、一句献句を作ることになり、それぞれが投句した。
それが後日、冊子としてもたらされた。
数年前、黒田杏子に会ったとき、「私の後に、あなたと仁平君が居たのよね、その時があなた方に会った最初ね・・・」と言われた。そういえばそうだったような気もした。
黒田杏子を誘ったのは中村苑子である。重信没後の俳句教室を継承した中村苑子の若い弟子たちも参加していた。
記念の冊子から献句を引用掲載しておこう。(50音順)
師を偲ぶ声は谺と青嶺たつ 秋葉貞子
重信忌すでに山霊となるならぬ 阿部鬼九男
言霊のもどってきたる烏麦 糸 大八
それぞれのおもひの車中や重信忌 伊藤富美子
走らなければ重信安現れず霧晴れず 今坂柳二
梅雨の富士背に俳聖の魂鎮む 今牧嘉子
天啓漏るや霧中の捕虫網 上田 玄
ぬかづいて十脂の火照る夏の霧 上田多津子
霧の墓参重信いまだ晴れざるか 牛島 伸
囀りや富士ふところに先師の墓 内田房江
紫陽花や鬼とくらせりその後(のち)は 大井恒行
富士見えず死にたる後の梅雨の空 太田紫苑
深々と礼なす真昼重信忌 大高弘達
十三年目の梅酒の封を切りにけり 大高芭瑠子
あの世よりお天気男梅雨飛ばせ 奥名房子
今なお前衛梅雨の列島ひた走り 小熊きよ子
伯爵領の墓地等間隔やみどり雨 嘉村智明
七夕の明くる日がなぜ重信忌 賀茂達彌
富士は白富士天霧(あまぎ)らふとも師は一人 川名 大
雨雲の向こうはなぐり書きの不二 木村聰雄
夏霧に消ぬる窓秋苑子かな 黒田杏子
嗚乎嗚乎と見えざる富士や見ゆる墓 桑原三郎
関八洲の野山は雨の重信忌 澤 好摩
尽忠は俳句と霧を吸つてゐる 鈴木石夫
紫煙這ふ忌の重信の片腕に 攝津幸彦
いつのまに重信棲みつく蝉の穴 宗田安正
紫陽花のずっしり濡れし忌日かな 高野万里
重信忌折笠杉も霧の中 高橋 龍
髙柳重信秋の不二を見ず 高屋窓秋
赤い靴胃に溶けのこる人が父 髙柳蕗子
梅雨霧に顕(た)つ人に逢ふ七月八日 髙山雍子
霧涼し句詠みし人の魂の前 寺岡道子
山霧に見ゆるは後略十三年 寺田澄史
霧重く想い激しい墓参り 中村英佐
紫陽花の腐蝕もゆるせ重信忌 中村和弘
梅雨の霧凝りたる蝶か忌日なる 中村里子
重信忌九十〇狭霧(じゅうしんきことたまさぎり)日照(ひで)り雨(あめ) 中村重雅
思はざれば「わが尽忠」も富士も見えず 中村苑子
吾が父とつぶやきむせぶ霧の墓 中村鱗次
輪廻に憑かれ転生忘れ給うなよ 流 ひさし
重信忌なれば雨のち霧隠れ 仁平 勝
始めましてと香たてまつる重信忌 野村日出子
剛志(ごうし)の草(くさ)に/なべて/夏来(なつき)ぬ/とりわけ薊(あざみ) 林 桂
霊ちかく紫陽花に染む老河童 平島一郎
十年は一日わが師ビール乾す 福島とき子
後略十三年/いまは恐竜として/立つ/重信 福田葉子
かささぎのいづくへわたる重信忌 本多和子
一日を師に近くあり濃紫陽花 松内佳子
お酒呑んでゆっくり重信の死を覚え 松岡貞子
山霊となりし霧中の重信よ 松崎 豊
蝉翁の声なき声をふりかぶる 三橋敏雄
あぢさゐや思慕新たなり重信忌 柳沢俊子
沖の父われ知り初めし船長忌 山上 薫
紫陽花を霧にともして重信忌 八巻定子
夏霧や俤さがす墓参かな 山本喜久江
墓石の重信と吸ふ夏の霧 山本紫黄
束の間の梅雨の晴間や重信忌 薮本安子
重信の化身ま白き蝶現れる 吉岡満寿美
幻となりける富士や重信忌 吉村廣美(毬子)
集い来て墓地はしっとり重信忌 渡辺和子
これは凄い! 畏れ多い献句集 公開ありがとうございます。 富士霊園とは、確か、三谷昭さんもそうだった気がします。 ちょっと調べてみます。 敏雄、紫黄、弘達の句があったと思います。
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