2014年2月8日土曜日

雪月花「私のすべて」死して謝す・・窓秋・・





高屋窓秋の最後の句集『花の悲歌』(弘栄堂書店、1883年刊)には、雪月花をキーワードとした句が多く収録されている。実に252句中22句を占める(一割弱)。雪月花をキーファクターとするならば、『花の悲歌』のほとんどを占めるといって不足はない。雪月花の句のうち、高屋窓秋がもっとも気に入っていた句は、

      雪月花美神の罪は深かりき      窓秋

以下にいくつか雪月花の句をあげておこう。

     雪月花悪の花などちらちらす
     雪月花不思議の国に道通ず
     雪月花をみなの罪は地に芽生え
     雪月花をのこ罪ははうき星
     雪月花山河滅びの秒の音    
     雪月花山肌いたく荒れしかな
     雪月花身辺人が泣き喚き
     雪月花軍艦浮かび浮寝せり
     雪月花されば淋しき徒労の詩
     雪月花銀河の端のこの梅見


集名は次の句から、

    花の悲歌つひに国歌を奏でをり

この句集には「あとがき」も何もない。装丁・亞令、挿画・糸大八のみ。ただ、栞を三橋敏雄が書いている。愚生が「俳句空間」を編集している最後の時期に創らせてもらった句集だ。
三橋敏雄があるとき愚生に「高屋さん、句はあるらしい。君が言えば出すと思うよ」と呟いたのが切っ掛けだった。その栞に三橋敏雄が書いているように、朝日文庫のための書き下ろし「星月夜」の「あとがき」引用しながら、高屋窓秋最晩年の句集として用意されている句集名は『冬の旅』、それを「思い止まったのは、その文字から受ける、なんとなき清々しく重みのある終末感からで、これはもう少し先へ大切にしまっておいたほうがよい、と考えたことによる」ということだろう。
     
最初の打ち合わせは、窓秋お気に入りの絵をみながらお茶も飲める松涛美術館(渋谷区)で挿画の糸大八と三人で会った。
窓秋曰く「ぼくは、これまで一度も自分から句集を出したいと思ったことはないんです。いつもどなたかが、出したいと言ってくれるんです」。
窓秋はまた、先生と呼ばれることが嫌いだった。あるインタビューに立ち会ったとおりに、インタビュアーが先生、先生と連発するでので、どうにかなりませんかねーと愚生に言われたことがあった。
『花の悲歌』は採算を取るために、予約出版とした。それでも印税分の相当額は現物(本)で納めさせていただいた。
ここで一つだけお詫びと訂正をしておきたい。
句に誤植があったのだ。やさしく高屋さん(失礼ながらいつもそう呼ばせていただいていた、先生というと機嫌が悪くなるので仕方ない)は、「今度、再販するときにでも訂正しましょう」と言われた。
いまだに再販は実現していない、のは言うまでもない。
     
   (誤)くろがねの秋の軍隊沈みけり
   (正)くろがねの秋の軍艦沈みけり

慎んで訂正し、お詫び申し上げます。

東京は45年ぶりという大雪が降っている。

               雪のコウバイ↓

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