2014年2月26日水曜日
首くくり栲象に遭遇・・・
こんなこともあるのか・・・。
先週から愚生は、バイトでF市内を歩き回っているのだが、
今日の昼過ぎに、ファミレスか、食堂での食事を諦めて、ある団地の公園で昼休憩をしていたら、向うから三人のカメラマンの被写体になりながら、歩いて来る男がいるではないか。
確か、この近くの「庭劇場」で日々首を吊り続けている栲象がいたなあ・・と思い出していたときのことだったので、余計に驚いてしまった。
庭劇場とは自宅の庭のことだ。料金は千円。
乙女椿の木で首を吊る。
実に修行者のように・・
しかも、若い時分よりも、吊る時間が長い。
(ホームぺージやユーチューブで観られるから、興味のある方は観て下さい)。
手を振ったら、首くくり栲象(たくぞう)も驚いていた。
思わずお互いに手を取り合って、「なにしてんの?」。
そばにいたスタッフと思った若い女性が、「首くくり栲象の一日を撮っています」と言う。
土方焼けした愚生の顔を見て「奇跡だな・・」。
かの若い女性はCAPプロデューサーの名刺を見せて、「栲象さんのパフォーマンスを観たことありかすか?」ときた。
あるも何も40年来の友人である。
昨年末のには何十年ぶりかで,首くくり栲象出演の芥正彦「ホモ・フィクタス」の草月ホールに出かけた。草月ホールは大駱駝艦との公演以来の大舞台だった。
彼は、そのパフォーマンスをときにアクションといい、ときに美術的パフォーマンスと言っていたような気もするが、愚生にとってはネオダダの風倉匠(風倉匠亡きのちの今でも、豈の表紙は風倉匠のデカルコマニーで飾っている)の親友として紹介された縁がある。実は、仁平勝が俳句に染まる以前に首くくり栲象を介して知り合ったのだ。
その頃、首くくり栲象はもっぱら古沢栲(ふるさわ・たく)、タクちゃんと呼ばれていた(愚生はタクさん)。
当時の彼は武蔵野美大の男性ヌュードモデルをしていた。
愚生の職場に絵を描いてきてはいくばくかをせしめていた。
それに、愚生が毎日のように宴会を開いていたが(今では考えられないが・・)、彼はなくてはならない役者であり、歌手であった。
いまのようにカラオケなんてものはない。みんなの手拍子でアカペラで歌った。
金子由香利がまだ無名の頃に、ドーナツ盤のレコードを擦り切れるほど聞いていた。
彼女を教えてくれたのも彼だった。
そのほか、ここでは書き切れない多くの・・思えば、毎日が刺激的だった。
首くくり栲象はまさに、生きていることが哲学者ふうで生活と芸術が一体という現在では稀有な存在だ。
先日、首くくり栲象から、今月の庭劇場案内(25,26日夜八時から、雨天決行)のメールをもらったときに、「昨年の夏、部屋に蚊帳を張り、その中で雲を終日眺めていた。雲は右から左へ、西から東へと、それぞれの趣でハキハキと形を変えつつ流れていた。いまもあの夏と同じガラス戸で、目一杯開け放ち、空を眺めています。雲はどんより、寒さはハキハキ、寒空です。この寒空はある日、忽然と消える。なにかが消え、何かが顕れる。いま雪のさ中、紅梅が忽然と顕れ、煌々と紅で息衝いている」と記されてあった。
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