2015年5月16日土曜日

「朝波夕波」第10号(1988年10月16日発行)・・・



(前々回の続き・・)眠っていたファイルからもう一つ昔のことが出てきた。
「朝波夕波」である。編集発行人は坪内稔典。これは「個人雑誌《船団》の定期購読者への通信をも兼ねています」とある通り、当時の《船団》を応援しようという人たちが定期購読を申し込んでいたが、なかなか発行されない《船団》がまだまだ続くよ、という坪内稔典のメッセージだった。それには、

 《船団》4号がやっと出ました。この雑誌、創刊したのが85年ですから、3年間でやっと4冊というスローペース。

何とも良き時代のような話だ。今でこそ多くの雑誌が定期発行され、それも毎月というのもある。昔は、同人誌は、いや結社誌ですら、遅刊は当たり前のような世界であった(「豈」は残念ながら、いまだに不定期刊であるが)。そして《船団》は、坪内稔典の個人誌から、


 《船団》を協同の場へ出すことにしました。新たに「船団の会」を設け、その会の発行というかたちを5号からとります。

そして「『船団の会』入会のすすめ」には、

坪内稔典が個人雑誌として発行されていた『船団』が、1989年1月刊の第5号より、「船団の会」が発行する季刊誌となります。再出発する『船団』は秀れた作品の出現を目指すだけでなく、、雑誌という場の新しいありかたをも探ります。俳句は基本的に場という共同性を磁場として生成すると考えられるからです。多様な俳句の試みが、主張の違いを保ちながら生き生きとぶつかりあう場所が「船団」です。ぜひ、入会して下さい。

わずか2ページのB5判のものだが、1ページの最後は、以下のように括られている。俳句の世界にに新風とその媒体の在り方を考えていたことが伺える。

要は結社などの垣根を超えたところで、もっぱら俳句の問題を考えてみようということ。会員は他の結社や同人誌に加わっていてもなんら差し支えありません。「船団の会」は俳句にかかわる主張をうち出すことはありません。会員個人の抱えている問題が、つねに場の問題となり、一種の協同の気運が生まれ、共同による創造につながったら、それが一番この会にふさわしいことだと思います。僕としては、老いと俳句の言葉との関係、高柳重信をはじめとするいわゆる新興俳句、古典論などをこの会の共同の場へ提起したいと思っています。

今、手元にあるのは「船団」6号(1989年4月25日)だが、その会員作品Ⅰ(作品Ⅱは和田悟朗選者欄)には、澁谷道、糸山由紀子、谷口慎也、窪田薫、乾裕幸、伊丹啓子、富岡和秀、堀本吟、塚越徹、山上康子、武馬久仁裕、藤原月彦、新山美津代、内田美沙、柿本多映、長澤奏子等の名と作品がある。他の記事には、宇多喜代子、池田澄子、中村苑子、小西昭夫、橋本輝久、白木忠、齋藤慎爾なども見える。愚生も、失念していたが作品を出していた。

     坪内稔典氏へ
  大喪とて甘納豆はいかに笑む         恒行



                カルミア↑

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