2015年5月11日月曜日
阿部青鞋「てのひらをしたへ向ければ我が下にあり」・・・
「阿部青鞋研究」(創刊号・平成5年2月5日、阿部青鞋研究会・編集人・妹尾健太郎)は一体何号まで出たのだろう。創刊号と2号は16ページ。
愚生はまったく失念していたのであるが、昔、所属していた組合事務所から段ボール箱が送られてきた。事務所を引っ越しするので、愚生の物があったと送ってきたのだ(愚生の物らしいものはすべて捨ててかまわないと言い残しておいたのだが、それも、もう7,8年以前のことである)。その中に、ファイルに挟んであった「阿部青鞋研究」2冊があったのだ。
いま、その編集人であった妹尾健太郎はどうしているのだろう。音信が途絶えてからも随分と経った。その「阿部青鞋研究」の成果はのちに貴重な一本として『俳句の魅力ー阿部青草鞋選集』(沖積舎・平成6年7月刊)に結実した。
いまでは阿部青鞋(あべ・せいあい)の名を知らない人も多いのではなかろうか。彼は新興俳句の人ではなかったが(誌の三橋インタビュー記事によると)、新興俳句弾圧後、戦時中、渡辺白泉と三橋敏雄と三人で秘かに歌仙を巻いて、いわゆる古典研究をしていたという時期があった。連句を巻いたのは、木庵(もくあん)こと阿部青鞋、檜年(ひねん)こと渡辺白泉、雉尾(きじお)こと三橋敏雄の三人である。
独りでするのを独吟、二人でするのを両吟、三人では三吟、四人では四吟、五吟、六吟・・・・で座を作る。
ここでは「阿部青鞋研究」に載っていた〈三吟歌仙「谷目の巻」・表六句〉を書き写して紹介しておこう(敗戦後、焦土の中で三人は再会した)。
うぐひすの近づいて鳴く檜哉 木庵
いそぎし人の思はずの春 檜年
雨垂に庇の下をこづかれて 雉尾
水車をば米さげて出る 木庵
麓からどう棲みにゆく月明り 檜年
刈りのこしたるおくて一枚 雉尾
阿部青鞋は大正3年(1914)年東京市澁谷生まれ。本名・麗正(よしまさ)。
昭和12年、白泉らの俳句同人誌「風」に参加。昭和20年岡山県の現・美作町に疎開、終戦後も留まる。句集に『ひとるたま』(昭和58年・現代俳句協会刊)、平成元年2月5日逝去、享年74.
コバンソウ↑
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青鞋は危ないほど魅かれる句が多いです。
返信削除青鞋が暮らした美作・林野にに住む義兄は青鞋に英語を習ったそうで「阿部先生」と呼んで親しくしていたようです。
地元の方々との交流があった青鞋は、和菓子やの三人姉妹の命名をされます。
確か「のぞみ・かなえ・たまえ」だったかと…。 (欽ドコみたいですが)
そんな関係もあり青鞋にはひどく興味があり、先日、安西篤さんにお願いをして『海程多摩』紙上の阿部青鞋研究についてのバックナンバーを入手しました。安西篤さん、そして藤井清久さんが執筆されています。安西さんのお話しによると、藤井清久さんが青鞋研究の膨大な資料をお持ちだったようですが、藤井さんのご逝去とともにお蔵入りになったということを伺っています。妹尾健太郎さんの研究同様、青鞋句集の入手困難さとともに青鞋に関する書籍は貴重なものです。
その「海程多摩」紙上での藤井清久氏の研究文に、俳誌「句帖」における青鞋句が掲載されていました。詩人による「特選集」があり、なんと!萩原朔太郎、西脇順三郎、百田宗治、室生犀星選というのがあります!その著名詩人の選を受けた青鞋句を下記に披露します。
冬の虹つめたき石の陽を這えり (萩原朔太郎選)
ピンポンの球が若葉の光裁る (西脇順三郎選)
蒼白い爪が死床の寂寞を光り (百田宗治選)
水枕乾さるる軒の穹ほそく (室生犀星選)
(藤井氏の注にこの「句帖」での資料は妹尾健太郎編「阿部青鞋研究」中、細井啓司執筆「『句帖』と青鞋」が詳しいとあり。)
北川美美記
色々、ご教示有難うございました。深謝。大井拝
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