2015年5月7日木曜日

「オルガン」1号(2015 spring)・・・



俳句を、するのではなく、俳句が、するのだ。
上記は「オルガン」創刊号のマニフェストの一行だ。
同人は4名。生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃。
アベカンこと、阿部完市は、よく「俳句の神が書かせている」と言っていた。
ジュウシンこと、高柳重信は「俳句形式が書かせている」とも、また「習い覚えた手が書かせている」とも言っていた。しかし、「手がみえる」のはダメだとも・・・
ともあれ、「オルガン」は一読するにはほどよい雑誌だ。
座談会は同人4名による「佐藤文香の『君に目があり見開かれ』を読んでみた」。それぞれの意見にそうだろうなと、うなづくところがあった。
最後に作品、一人一句を挙げておこう。「テーマ詠(芭蕉)」からも一人一句。
そういえば、題(テーマ)をつけて句を連ねて詠むのは、水原秋櫻子、山口誓子以来、新興俳句運動が開拓した方法だった。
高屋窓秋は最晩年もなお、連作には(みんなは捨て去ったかも知れないが)、まだ随分残された可能性があると言っていた。
余談だが、「俳句は一人でするものです」とも。その窓秋も高柳重信、三橋敏雄には句を見せていた。窓秋に、この世の友が亡くなってからのことだが、ある時、「この句はどちらがいいですか」と二様の作を見せられて尋ねられたことがあった。もとより、愚生は、恐縮して、応えられるわけもない。


   白梅にして遠空を担ひけり         生駒大祐
   桜うなばら先進五カ国船の国       田島健一
   目のたかく眼鏡のたかく霾れり      鴇田智哉
   春の泥ブルーシートの奥は海       宮本佳世乃

   鳥引くや開け放たれし湖の壺           大祐
   毛穴吹く生きもの芭蕉春の月           健一
   アラームアラーム青葉若葉のめくれ来よ    智哉
   夢の橋いま越えてゆく芭蕉かな        佳世乃
   


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