2018年12月6日木曜日

くぼゆうこ「煮凝りや錯覚アート美術館」(「山河」355号より)・・



 「山河」355号(山河俳句会)の第48回《競作チャレンジ俳句・課題「錯覚」冬の季》の入選句と鑑賞を今号も書かせていただいたので、寸評は天・地・人のみになるが以下に紹介しておきたい。鑑賞文のタイトルは「錯覚御免!」。

   煮凝りや錯覚アート美術館      くぼゆうこ
 数十年前の隙間だらけの台所では、厳冬下、夕食の煮汁が凍って、翌朝には自然に煮凝りができていた。煮魚が閉じ込められている。閉じ込められるという意味では美術館だって同じ。『錯覚アート美術館』という本であるなら、閉じ込められることにおいて「煮凝り」との取り合わせは絶妙である。

   折角の錯覚ポインセチアの自覚           栗原かつ代
 この句は「折角」「錯覚」「自覚」と言葉の音韻に引きづられ、音の連想から転じ、意味を変え、俳句の一行の特質を生かし、上から下へ、まるで言葉遊びのように詠み下される。結句はクリスマスの喧騒を背後にした「ポインセチアの自覚」の登場で止めを刺したところに妙があろう。 

  時にはふわり錯覚もあり百八つ    田島満喜子

 除夜の鐘は百八回打たれる。百八の数珠もある。人間に百八の煩悩があるというところから想を得た句である。そうした悩ましい、深刻な問題であっても、錯覚も含まれている。それが上句「時にはふわり」である。ここに救いがある。

秀  錯覚と言い切る平和賀状書く      新井 喜久     
   錯覚を逆手に取れば雪女郎       勝山 京子
   小春凪錯覚という海の底        国藤 習水
   錯覚の明日へ冬蝶舞い上がる      岡田 恵子
   錯覚も惚けの始まりのっぺい汁      藤波 俊子     
   錯覚は最期の窓辺冬の星          平林 敬子
  錯覚を角度が作る冬帽子       二村 吉光
   錯覚の日々の始まる室の花       小林十六夜                   
   錯覚の天中殺に入るなまこ       山本 敏倖
   錯覚という名の列車冬銀河       桜井万希子

  笑窪から錯覚光線冬木立           近藤 嘉陽
     だまし絵に落ちた錯覚鬼やらい       赤坂 陽子
   錯覚はクリスマスキャロル聴いたから    多田 文代
   寒夕焼すべて錯覚かと思う        植田いく子
   ボジョレヌーボー錯覚といふ添加物    宮川 欣子


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