2018年12月6日木曜日

片山蓉「誰もゐぬ階ひらく芒野だとは」(『羊水の。」)・・・


 
 片山蓉第一句集『羊水の。』(ふらんす堂)、序は武藤紀子。珍しい序文「片山蓉は語る」で、インタビュー風に、著者の出自、句については自解のように書かれている。そのなかに、
   
    かひやぐらボクを返してくれないか
 死んだ人が「かひやぐら」のなかにいます。その「ボク」に自分がなったり、ならなかったりしている。そして「ボクを返してくれあないか」といっています。情があふれて泣きながら書いた俳句でしたが、どうしようもなくやるない気持ちをあらわしたつもりです。俳句ではおち入ってはいけないことですが、まわりからは「よくわからないが魅力的だ」といわれました。

 とある。また著者「あとがき」の冒頭近くには、

 ひょんな偶然から俳句にめぐりあい、知り合いたちと句会を始める。すでに人生の後半を迎えていたので、体の中には行き場のないたくさんの記憶と言葉がある、それがカタチとして表れ出るのが楽しくて仕方ない。音、光、匂いや色が心を動かし、日常の暮らしが息づいていた。でも俳句を知るほど辛くなっていく。私はいったい何を求めているの?私の句はどこに行こうとしているの?

 と記されている。つまり、私という作者自身ではなく、すでに俳句が主体になって、勝手に浮遊し、俳句自身の言葉の旅にでようとしているのかも知れない。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   さびしいは白魚の透けたからだです
   いそぎんちゃくだつたかA葬儀社だったか
   梅雨明けやけさのサラダボウルさわがし
   さびた鉄壁にゐるよこしまな蛾は
   からつぽの客席さつきまで夏野
   とんぼ死ぬやら乾電池切れるやら
   蚯蚓鳴く輪転機は夜錆びつく
   サガン読む果肉のやうな九月の部屋
   無花果のどうも耳穴であるらしい
   東京の冬冬帽におさまらぬ
   しばらるる白菜笑ひ止りません
   枯蓮最後の砦として在りぬ

  片山蓉(かたやま・よう) うさぎ年、東京生まれ。 


                                 撮影・葛城綾呂↑

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