2018年12月31日月曜日

表健太郎「億年や北斗に並ぶ七機械」(「LOTUS」第41号)・・

 

 「LOTUS」第41号(発行人・酒巻英一郎)の特集は「見出された俳句 表健太郎✖佐々木貴子」。両名とも第5回芝不器男俳句新人賞奨励賞受賞作百句に、各選考委員より、祝詩(城戸朱里)と祝句(西村我尼吾)をいただき掲載。また論考は表健太郎にはカニエ・ナハ「デュシャン以来の」と酒巻英一郎「ヘルメスの諧調ー表健太郎秀句頌」、佐々木貴子には松下カロ「ユリウスのゆくえ 佐々木貴子へ」に志賀康「律動と生命ー佐々木貴子百読感」、いずれも正鵠を射た批評である。加えて両名の特別作品30句が並ぶ充実した特集となっている。さらに両名による書翰がしたためられている。まず「佐々木貴子から表健太郎」の中に、

 作品の全てではないけれども、「自転車」の連作や「遥かな教室」「金平糖の夕あらし」「人が消える夏祭」などの句から、不思議と子供時代を過ごした昭和の景色が浮かぶ。自ら「あわいの世界」に迷いこんでいあったあの頃。(中略)とりまく世界を愛していた子供時代。生活の即物的なものに囲まれながら、ふと放心し脇を向けば精霊(スピリット)の横顔に触れるような、空想に満ちた幸せな時代だった。

 と、そして「表健太郎から佐々木貴子へ」では、

 詩人は誰しも自らの経験を言葉に紡ごうとします。けれどそうした作業の過程には、大抵、”大人になってしまった自分”が入り込んでいるものです。この「大人」と上手く付き合うのか、悲しみを抱き続けるのかで、言語表現の在り方は自ずと変わってくるのではないかと思っていて、私は貴女の句群に、後者の葛藤を感じたのでした。

 と記している。ともあれ、「LOTUS」に新人を超える力量の俳人が登場しことを読者に確信させる内容となっていよう。ともあれ、同誌より以下に一人一句を挙げておこう。

  昇天の大抱擁を待つ機械         表健太郎
  とん・とくん月のふたつのふくるるを  佐々木貴子 
  七つ星ながるる砂と血と蜜を       九堂夜想
  月消えてひたすら夜が降る夜なり     熊谷陽一
  鷹一羽刻の標として翔びぬ        三枝桂子
 
  みづからを
  呼ばれて匹如身
  秋の宵               酒巻英一郎 

  つみぶかくこぶしをつつむたなごころ  鈴木純一
  漏電は続き祝詞はとめどなく      曾根 毅
  とよみきのみなこをろこをろにあやにかしこし
                    髙橋比呂子
  さわると沸騰する鳥を配りに来る    古田嘉彦
  たそかれやほのかに匂ふやまとうた   松本光雄
  ほおじろのみこはらむとやくにつうた  無時空映
  我が回廊瞑想に入る冬山河       丑丸敬史




★閑話休題・・井口時男「まゝよ痴愚沖いと遠く霧(き)らふとも」(「鹿首」第13号)・・・


 「鹿首」第13号(「鹿首」発行所)、前掲「LOTUS」の松下カロつながりで言えば、「ユリウスのゆくえ 佐々木貴子へ」はその作者と作品を論じて出色であったが、本誌の井口時男句集評「少年の日の井口時男へー『をどり字』に寄せて」も見事な論であった。タイトルに挙げた井口時男「まゝよ痴愚沖いと遠く霧(き)らふとも」の句には「己が名によるアナグラム」の前書が付されている。それにしても、愚生に気がかりなのは、前号から「鹿首」に有賀真澄の名が見えないことである。編集人・研生英午は、連載評論、俳句に健筆をふるっている(正月のおせち料理も立派に作っているらしい・・)。思えばかつて『攝津幸彦全句集』(沖積舎)を攝津幸彦の一周忌までに出版するために刊行委員会を立ち上げ、その提案を逸早く沖積舎・沖山隆久に進言したのは彼だったと思う。研生英午のその発案がなければ、攝津幸彦全句集の進行は、もう少し遅れていたに違いない。そして、その校正を引き受けたのは、当時、それを職としていた倉阪鬼一郎だった。もう22年前のことだ。

  稜線沿に追ふ日輪や影ながき     英午



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