2018年12月26日水曜日

赤間学「被曝の町の泡立草と信号機」(『福島』)・・




 赤間学第一句集『福島』(朔出版)、著者「あとがき」に、

 私は大津波に襲われた東日本太平洋沿岸の港湾施設、津波用河川水門、揚排水機場などを主に建設してきた土木技術者です。東日本大震災によって、長年自分の手がけてきた建造物が一瞬にして崩壊するという大きな喪失感に襲われました。震災の後の、縁あって国の発注者支援技術者として復興・再生事業に従事しています。近年では特に印象深い福島について句作を重ねてまいりました。いくらかでも福島の「今」を詠めていれば幸いです。

とある。またその冒頭には、

 句集を編むきっかけは東日本大震災、福島第一原発事故に遭遇して、人類が、そして自然がどのように変わったのかを知りたかったからです。

とあった。第1章には、大震災以前、第2章には、大震災以後、そして第3章には、主に、現在の福島を詠んでいる。さらにほかに「松島」抄とあるのは、著者の定点観測点が松島にあるからだそうである。ともあれ、集中の句を以下にいくつか挙げておきたい。

  いちめんの菜の花父の肩車      学
  蒲団干すアジアの空の晴れきつて
  海原を洗ひあげたり夕月夜
  草枕理(わり)無き老のしぐれかな
  能面を脱げず脱がざる凍てし春
  棺なく花なく野火の餞(はなむけ)
  封鎖してジャンブルジムは灼けてゐる
  暫くは焚火に滅ぶばかりなり
  こひのぼり居久根(ゐぐね)の影に骨の家
  立木みな谷に傾ぎぬ蟬時雨
  がんらんどうの相馬双葉や秋の空
  蝶ヒマラヤを越ゆ海底に大和
  セシウムの匂ひを持たず梅雨寒し
  桃青忌蚤蟬蛙皆化身
  床に膝給ふ行幸夏の月
  来て知るや向日葵の空の高さを
  白鳥帰るいまだ不明者ゐる海を

赤間学(かかま・まなぶ) 1948年、宮城県大郷町生まれ。




★閑話休題・・星野石雀「空華さんたまには夢に出てこいよ」(「鷹」2019年1月号)・・


「鷹」の「日光集」のトップに作品があるのは星野石雀(ほしの・せきじゃく)、健在だといつも思い、句を読むのを楽しみしている。大正11年9月生まれだから、96歳である。他にも、

    枯野ひろびろ稚魚碧蹄館どこ行つた    石雀

の句が見える。「豈」同人・「LOTUS」発行人の酒巻英一郎に、星野石雀に関するエピソードがある。彼の若き日、星野石雀の句集を入手したくて、アポもとらず、自宅に参上したところ、玄関先で失礼しようと思ったら、部屋に通され、かつ石雀の奥様も見えられ、歓待を受け、句集まで贈呈に浴したと言っていた。その酒巻英一郎は、攝津幸彦の第一句集を求めて、これまた、当時団地住まいだったドアをたたいたら,資子夫人に「ありません、幸彦に直接言って下さい・・」と、ケンモホロロに断られたそうである。俳句が嫌いだったのだ。それが、幸彦急逝の後は、彼の句を読み、『幸彦幻景』の一書まで為すのだから、俳句には複雑な思いがあったのだろう。
 

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