2020年6月25日木曜日

中村安伸「パラソルのをみな笑顔にして深傷」(「俳句界」7月号)・・

 

 
 「俳句界」7月号(文學の森)、特集は「波多野爽波」と「この夏、自選力をつける!」、「俳句界NOW」は坪内稔典。「波多野爽波」の論考は原田暹「『ホトトギス』と爽波」、小川春休「主宰誌『青』の時代」、中岡毅雄「四誌連合と前衛俳人と交流」、青木亮人「俳句スポーツ説」、その他、一句鑑賞とエッセイを収載。「この夏、自選力をつける!」の論考は10人が執筆しているが、ここは「紫」主宰にして「豈」同人でもある山﨑十生「句集における自選力」の部分を紹介しておこう。

(前略)作句においては、どんな有力俳人であろうとも、常に秀句を生み出すことは困難である。それに対して選句は、個々の力量によって作句ほどの波はない。選句力が付いて来れば、自ずと作句力も向上して来ると信じている。(中略)
 句会では会員から幹部同人へと披講されるが、選ぶ句があきらかに違う。これは、選句力に倚る事がかなり比重を占めている証左である。句会で選句力を養い、自選の句集を出していただきたい。

  他に同誌、同号では「豈」同人・池田澄子が「安心に安住しない精神」(大輪靖宏『俳句という無限空間』鑑賞)を執筆している。ブログタイトルにしたのは同誌掲載の「豈」同人・中村安伸「青人草」10句からである。他のいくつかを以下に挙げておこう。

  あきつしま青人草を素手に抜く    安伸
  軍兵の海を眼下に午睡かな
  青嵐人を見えなくするクスリ
  はつなつの人間は水熊は風

 中村安伸(なかむら・やすのぶ)1971年、奈良県生まれ。




★閑話休題・・・『イーちゃんの保育日誌』(編集・山﨑公一)・・・


『イーちゃんの保育日誌』(私家版)、巻頭の「ご挨拶」に、

 泉の6年間の保育園連絡ノートは全部で36冊あります。(中略)
 本書は、そこから病気や体調不良の様子をできるだけ拾いながら、3分の1あまりを抜粋し、泉の心の成長と周囲の大人達の”共有”の記録としました。(中略)
 引っ越しのたびにそのまま持ち運んでいた段ボール箱からこの連絡帳の束を見つけた時、今これをまとめておくことも私達の終活かもしれないと思い至りました。
 この6年間に関わりのあった方々おひとりお一人に、泉ともどもあらためて心からの感謝を申し上げる次第です。

                山﨑てる子
                  公一
2005年5月
コロナ禍のさなかに

 とあった。中に、こんな件りがある。

 1989年1月11日(水)
 お迎えの大井さん宅では最初かなり緊張して、ニコリともしなかったとのこと。しかし次第に慣れてきたそうで、引き取りに行ったときはリラックスしていました(母)

   1月25日(木)
 大井さん宅では子供達に遊んでもらった。帰ってからはぐずってばかりでした。ミルクを飲んでいるとときに眠くなり、しっかり全部飲んでから寝ました。目覚めると、お風呂に入るまで一人で遊ぶ。すっかり夜型人間です。(母)

1995年3月21日(火)
 6年間お迎えでお世話になったĄ月さん、大井さんと”お疲れ様会”をやりました。泉は「6年間お迎えしてくれてありがとう」と言っていました。ランドセルを背負ってみんなに見せ、得意そうにニコニコ。(後略)(母)

 A月さんと大井家で交替で保育園のお迎えに行き、両親の帰宅迄預かっていたのだ。6年間。それにしても、これを読んで、愚生は茫然とする。何ということだ。愚生はその間、何一つしなかった。もちろんお迎えも・・。愚生の子の姉弟も登場しているのに・・この本を贈られて来て、そうしたこともあったなぁと、思い出すのが関の山だった。元はと言えば、三家族は同じ団地に住んでいて、愚生の会社の労働争議や、A月さんの職業病闘争で知り合ったというのに・・。三十数年前のことだ。愚生の事を、我が子どもからは、組合で人は守れても、家族は守れなかった、父親失格と言われていたのも、さもありなん、ということだ。
 そのイーちゃんも立派な大人になって働いておられるという。いまは、ただ、皆さんの幸福と、健康を密かに祈るしかない。



      撮影・鈴木純一「つゆくさの名付け親らし物語る」↑

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