2020年6月2日火曜日

海野弘子『青蔦の扉がギギと湯気のモカ」(『花鳥の譜)・・・

 


 海野弘子第二句集『花鳥の譜』(俳句アトラス)、帯の惹句は長嶺千晶、それには、

   声明のはたと止みたる落花かな

 舞踏会へと赴くような華麗な美しさに憧れた若き日々。
 戦争によって封印された時代の記憶は、今、命の輝きのしずけさとなって甦る。
 海野さんが生涯を賭して追い求めた美のかたちが、ここに在る。

とある。懇切な跋文は朝吹英和「『花鳥の譜』鑑賞」、その結びに、

 『花鳥の譜』を通読して実在と非在、現実と幻想、精神と肉体、人生の喜びと哀しみ、そして慈愛、様々な思いや感性が重層し自由自在に飛翔する多彩な詩的空間に遊ぶ楽しみを味わった。「アートフラワー」や「フラワーアレンジメント」を趣味とされる作者の確かな審美眼、「セレンディピティ」という言葉が好きな作者の偶然の出会いを価値あるものとするための好奇心や探求心の強さ、そして「ご縁」を大切にされる生き方そのものが『花鳥の譜』に通底している。

 と記している。また、著者「あとがき」には、

 二〇二〇年三月十九日、近づいた「深雪アートフラワー三越展」の出品を東中野の深雪スタジオへ提出した帰路、車中で嘔吐し、帰宅後も治まらず、近くの病院ERを受診し即入院となった。折しもコロナと連休で仲々検査が進まなかったが、翌週にはっきりと病名が告げられ「膵臓癌」であった。大変進行していて、肝臓にもわずかの転移が見られた。
 かねてから、生きているうちに第二句集を上梓したい希望をもっていたが、まだ句集としての作品が揃わぬのが悩みであった。しかし、即日お見舞いに駆けつけて下さった千晶代表に話すと、その場でゲラ稿を開け「句集にしましょう」と。
 これが『花鳥の譜』への出発日である。

とあった。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   昭和史に黒く塗りたる桜かな       弘子
   地に亀裂天に被曝や花万朶
   満開のさくらの帰還困難地
   声もまた裏返るもの春一番
   生きてゐるけふの牡丹の濃かりけり
   羅や座して乏しき膝の嵩
   今生の汗を重ねむ発つ日まで
   積まれある汚染億土の西日かな
   病みをれば夢の花火に音あらず
   向日葵や人は異形の影を持ち
   海へ落つる陽が胸にあり秋の人
   くれなゐの落葉の切絵浄土かな
   夫に剥くセザンヌ色の冬林檎
   天狼星(シリウス)や距離無限なる父の膝
   凍蝶にまだ青空の色足らぬ
   砂時計夢みる頃へ落ち朧

 海野弘子(うんの・ひろこ) 1935年、静岡県生まれ。



撮影・鈴木純一「アジサイの間違い探しの間違いの方」↑

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