そんなものは存在しない。3.11は、日本を襲った最初の大地震大津波ではないし、最 後の大地震大津波でもない。3.11に打ちのめされた者、打ちのめされなかった者、す でに3.11を忘れてしまった者、今も3.11がもたらした状況に苦しむ者、それらさまざ まの個人がこれからも俳句を作り続ける、それだけである。
「震災句集再説」と題された評文の最終締めの部分の引用だが、いわば俳人として、また表現者として、現在の状況認識と表現意思の覚悟をたくまずして披瀝したものになっている。もちろん彼が与題としてあたえられたテーマ「新興俳句の再吟味」についての全体の要約もなしに、最後の部分のみを引用するのは公平を欠いているかも知れないが、これ以上、興味のある人は、直接、この年鑑にあたられたい。
全体のテーマは「新興俳句の再吟味」ということで、その他にも興味深い論考が掲載されている。例えば川名大は「合い言葉による国民感情への同化と不同調ー新興俳句の女性俳人の境涯俳句と銃後俳句の各異相―」題して、藤木清子、すゞのみぐさ女、竹下しづの女、東鷹女(三橋鷹女)の四名について詳細に論じている。とりわけ東鷹女の「後の『聖戦俳句』も赤面するような公の国民感情をコード化した句を作ったのだ」と指摘、「彼女の境涯俳句が示すように、自己中心のナルシズム、子への溺愛という心性は、客観的な眼や批評精神が脆弱で、そのために易々と公の国民感情に溺れたのだ、と看做せよう」と批評してみせた。その上で、
昭和十年代の「忠君愛国」という合言葉による国民感情と「3.11」の「絆」という合言葉 による国民感情とは、そこに高揚された国民感情の内容は全く異なる。だが、国家・メディ アを語り手とした合言葉による語りは、聞き手(国民)をそれに同化させ、高揚した国民感 情を生み出す反面、聞き手個々の独自の思考、洞察、感情を空虚化するメカニズムは共 通している。
と、冷静に分析している。
あと一篇を是非挙げておきたいのは、秋尾敏「新興俳句と『南柯』」である。秋尾敏の父・河合凱夫が戸張凱夫の名で戦中に投句していた雑誌「南柯」について述べたものだが、もう一誌の新興俳句系の「東南風(いなさ)」にも関わって、これまた短歌で用いていた宮野滾という名で編集を手伝ったりしたという。「南柯」は内藤鳴雪が始めた雑誌で、当時は、巻頭に「敵国降伏」という選句欄を設けたり(カモフラージュかも知れないが・・)しているという。
基地帰還不可能に哭き夏雲衝く 戸張凱夫(「南柯」昭和19年2月号)
敵機去りし芝の暖色寒禽に 〃 ( 〃 昭和20年4月号)
などの戦地から送られた句を見ると、いずれも「実感の伴なったモダンな表現である」し、「ポエジーが志向されていたと考えておいてよい」という。そして、秋尾敏は次のように結語している。
「南柯」は新興俳句の雑誌ではない。しかしその時代の何かを伝えている。新興俳句は、 単に一部の俳人の作り出したムーブメントではなく、イデオロギーや立場を超えて広がって いた時代性なのではないかと思うのである。
3.11以後を考えるとは、3.11以前も当然視野に入っていなければいけない。さらに、この世に起きていることで、自身に起こらないことは何ひとつ無い、ということ・・・その意味ではいつもいかなる場合も、自身に問われているのだと、思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿