2014年3月18日火曜日
「ラッキーにも癌」と大本義幸の春・・・
「豈」次号56号(7月下旬刊予定)の特集の一つに「攝津幸彦以後の『豈』」のなかで、「天国の攝津さんへの手紙」というのがある。
創刊同人の一人・大本義幸が早々と締め切り前に原稿を送って寄こした。その同封された便りのなかに、今度は肺がんで6度目の入院手術をすることになったとあった。
なんということだ,言葉にもならない。
舌癌、咽頭癌、食道がん2回、胃癌に肺がんである。
十年前の咽頭癌手術で声を失った。肺がんは進展が早いらしく4月早々に手術するらしいから、早目の送稿となったのだろう(この方の稿は「豈」発行後に読んで下さい)。
検査入院の結果が「ラッキーにも癌でした」と便りにあった。
それによると1年前から胸のCTを撮り続けていて、二月末で7ミリを確認。一年で2ミリ大きくなったという。
咽頭癌手術で奇跡的に復活してのち、大本義幸は70歳までは生きる自信があると言っていが、彼の一年先輩で同じ川之石高校の文芸部同志だった坪内稔典が今年、古希のお祝い会をするようなので、70歳までの望みは達せられると思う。
ここで、大本義幸は75歳までは生きてみる、と下方修正したとしたためてあった。
手術の成功を祈り続けたい。
盟友・攝津幸彦は49歳で逝ったが、幸彦の母で角川賞受賞の俳人の摂津よしこは健在、94歳。後一人の友・澤好摩は句集『光源』で無位無冠を放擲して、芸術選奨文部科学大臣賞文学部門受賞と目出度い。
大本義幸には、沖山隆久が恩義と友情で咽頭癌手術後に出版した唯一の全句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎、2008年刊)がある(10代から45年間の句、377句を収録)がある。
その中から挙げる。
月へ向かう姿勢で射たれた鴨落ちる 義幸
密漁船待つ母子 海光瞳を射る朝
硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
河とその名きれいに曲がる朝の邦
父よ、匹(ひき)という言葉いつしかわが身にも
TOKYOは秋攝津幸彦死す
生きている冬のはじめがいつか春
朝顔にありがとうを云う朝であった。
病葉の落ちるはやさに目がゆきぬ
初夢や象がでてゆく針の穴
前号の「豈」55号からも挙げておこう。
片影(へんえい)を昼とおもいぬ幸彦も 義幸
*片影を〈かたかげ〉と読めば夏の季語。〈へんえい〉と読めば故人のおもかげであ ると辞書にはある
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