2014年3月5日水曜日

忘れられた詩人・・・帷子耀


  朝から雨、お天気頼みの仕事ゆえ、今日は休み・・
 かつて「雨の日にはミステリーでも読んで・・」というような本があったような気がするが、図書館で借りた内堀弘『古本の時間』をパラと捲っていたら、「四十一年前の投稿欄ー詩人・帷子耀」を見つけた。
 それは、古書の入札会に出た帷子耀の自筆の詩原稿をネットオークションで買うというものだが、自筆原稿二千円のスタートから、オークション終了間際までずっと二千円だったものが、終了直前に、もう一人の入札者が現れ、争って、五万円までは意地でも追いかけようと思っているうちに四万八千円で落札したいう話だ。
 帷子耀(かたびら・あき)は、内堀弘がいうように、確かに忘れられた詩人だ。
 しかし、団塊世代の愚生たちにとっては、1960年代末から70年「現代詩手帖」の投稿欄に毎号掲載され、実にユニークな詩を投稿し、掲載され、彗星のように現われた天才詩人のように思われていた。喝采が送られていた。
 内堀弘によると、選考した詩人たちの評は、選んでいるにもかかわらず、選評はほとんど否定的であったという。たぶん、あまりに自在に、時流の詩ともかけ離れて書かれていたからに違いない。
 あるときから、ぷっつりと消息を絶ち、実業に転じていたなどというのは、まるでランボーのようではないか。
 名前は、愚生らは「カタビラ・アキラ」と呼んでいたが、本著で初めて知ったのだが「カタビラ・アキ」らしい。
 詩文については、残念ながら、まったく覚えていない。
 帷子耀は第10回現代詩手帖賞を70年に受賞したとき、「15歳。甲府第一高校」だったと記されている。少年詩人だったのだ。当時、天沢退二郎や鈴木志郎康が注目を集めていた頃だったと思う。
 愚生はそうしたきらびやかだった時代の詩文の陰で、今に到る俳句をひそかに書き継ごうとしていた。
 ノンセクトだった若者の多くは(とりわけ京都地方は、政治組織をもたない者にとって)、壮大なゼロといわれた70年安保闘争が、敗北を確信しながらも行くところまで行かざるを得ないと感じていた季節・・・だった。そして、権力の弾圧の潮が引いたあとには某政党の支配が学園を強権的に制圧し、それ以外は、発言の自由もなく排除された。 

                  モモ↓

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