和田悟朗、今年の2月23日に肺気腫のために亡くなった。享年92。それにしても、病床にあって『和田悟朗全句集』(飯塚書店)、そしてこの度の『自句自解 ベスト100 和田悟朗』(ふらんす堂)といい、両著とも自らの手で、その稿の全容を見届け(完成した本は手にすることはできなかったが・・)、逝くなどという覚悟の上の始末はなかなかできるものではなかろう。運?の強さも手伝ってあるようにさえ思える。全句集は、久保純夫・藤川游子の尽力があり、この度の経緯は、和田悟朗自身の付記によると、
ここに選びだした百句は、第九句集『人間律』(ふらんす堂、二〇〇五年)と、第十句集『風車』(角川書店、二〇一二年』からの七十三句と、全句集(未刊)に収録予定の第十一句集『疾走』からの二十七句である。
また、「私の作句法」については、体調がすぐれず、口述筆記に依るもので、筆記には、「風来」編集の方々(小野田魁、森澤程、玉記久美子、石井冴)が当たって下さった。四人の方々には深く感謝申し上げる。
二〇一五年二月十九日
和田悟朗
とある。日付は、亡くなる四日前だ。さらに両著にあっては、もちろん、夫人・和田アイ子の支えもある。その和田アイ子は、「口述筆記による文書の完成をまたずに和田悟朗は逝去。成文に当っては花谷清氏(「藍」主宰)から貴重な助言をいただいた。深く感謝申し上げます」と記している。
掲出した「水中に水見えており水見えず」の自解は以下、
水は、水素と酸素の化合物で、宇宙に物質が出来始めたとき、水素やヘリウムについで出来た三番目に簡単な分子である。たまたまわが地球にも大量に存在する。地球の水は、大部分が海の水であるが、目の前のコップ一杯の水は、極めて少量ではあるが貴重である。純粋の水は、可視光線を吸収も反射もしないから、そのままでは見えず、その容器だけしか見えない。きれいな水を見るということは何も見えないということだ。 (句集『疾走』)
なるほど、科学者の眼差し、認識に違いない。やはり、その道の達人には、愚生の見えないものがみえているのだ。
サザンカ↑
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