2019年8月17日土曜日
河村正浩「人も木も影を引き摺り原爆忌」(『春夢』)・・
河村正浩第6句集『春夢』(やまびこ出版)、河村正浩は、愚生と同じ山口県出身である。ただ、愚生は18歳で出郷して以来、まともに帰郷していない。従って、河村正浩が彼の地元近く、周南市大津島にあった戦時、人間魚雷「回天」の訓練基地を詠んだ句の現場にも、残念ながら立っていない。
愚生とは兄貴分の齢にあたる河村正浩に少なからず、その縁を思うのは、彼の師が大中祥生であったこと、愚生が中学か高校性の頃(すでに忘却のかなた)、毎日新聞「防長俳壇」に投稿した頃は、祥生の旧号・大中青塔子を名乗っていた。その後も、愚生が立命館大学二部に在学中、大中青塔子(祥生)に句を送ったことがあり、その返信の葉書には、句の善し悪しが丁寧に書かれてあった。思えば大中祥生は、のちに伊丹三樹彦「青玄」に所属し、「草炎」を主宰していたが、まだまだこれからというときに、惜しくも62歳で亡くなられた。
愚生の若き日からの友人・葛城綾呂は、共に「未定」創刊同人でもあったが、文字通り、その「草炎」から出てきた俳人である。だから、愚生よりもさらに「草炎」との縁は深いと思われる。
本集には、「山彦」25周年に合わせて、平成26年から30年の作品が収められているが、当然のこととはいえ、大中祥生を詠んだ句も多い。
大中祥生句碑
久闊の師の句碑なぞる下萌に 正浩
十一月十一日師・大中祥生命日
こめかみに秋深み行く師の忌日
大中祥生句碑
風狂の果ての句碑立つ下萌に
師の句碑に会ふや迂闊にも春愁
師の句碑を綺羅なすものに春の霜
また、次の句などは穴井太を偲んでの句ではないかと、愚生は勝手に思っているのだが・・。
夕焼け小焼け草の罠から抜けられぬ
なぜなら、穴井太の有名な句、
ゆうやけこやけだれもかからぬ草の罠 太
の句を踏まえているに違いないから。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。
歌を忘れた雲雀から落下する
核今も増殖中なり夜の秋
十月十日・悼「祭」代表山口剛
浄土へと君秋風になつて行く
テロ戦あるな日本麦の秋
少子化のスマホ闊歩す原爆忌
折れやすき鉛筆ばかり立憲日
「おう」と手を挙げて兜太や秋彼岸
落暉まだ残る回天春の汐
風死すや護憲改憲回天碑
枯るる中にんげん魚雷暮れ残る
河村正浩(かわむら・まさひろ)昭和20年、山口県生まれ。
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