2019年8月27日火曜日

板倉砂笏「骨壺に琥珀一個や初紅葉」(『壺の中』)・・



 板倉砂笏第一句集『壺の中』(ふらんす堂)、集名は、

  三秋の人ごみの中壺の中      砂笏

 よるもの。序は佐々木六戈「壺公の俳諧」、その中に、

 (前略)所謂、壺公の壺とは彼自身の壺中の天であったのである。この話は葛洪の『神仙伝』に出てくる。板倉砂笏さんの集の由来もこのあたりにあるのだろう。彼はそれを〈三秋の人ごみの中壺の中〉と詠み流した。ところで、壺の中と壺の外は瓜二つの世界であり、壺の中は壺の外が入籠になっているだけのこと。何となれば壺の外も壺の中もたった一つの世界のリバーシブルなのである。そこを仙人は、否、俳人は出入りするのだ。但し、中も外も寸分違わぬ世界を俳人は俳句の分だけ変身を繰り返しながら。

 とあり、本集、帯文には少し変奏させて惹句にしている。また、跋はかとうさき子、それには、

 (前略)そして既にお分かりのように、《砂笏》、かの蛇笏の名を(臆面もなく)思わせて憚らない。飄々と平然と蛇笏というその偉大な手の平から、砂のこぼれ落ちることを楽しむ風ではないか。だが実はこの人、俳人というよりは、寧ろ詩人の範疇で呼吸をしている人物と言った方が的確かもしれない。句歌詩帖「草藏」では、詩にもっとも近く創作をつづけて来た人である。

 と記されている。著者「あとがき」には、

 (前略)三度の転校は、孟母の三遷ではなく、父親の転勤によるものでしたが、思い出すことができない記憶の彼方、鄙の里での日々を、いまにして想像・創造したいものと思っています。創り出したものこそが、その影の部分を含めて、「私の歴史」だと思うからです。

 とあり、幼年を創造し直すとの謂いに、志賀康の「青山脈や育て返さんわが二歳」(『返照詩韻』風蓮舎刊」)の句を思ったりした。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  炎天の凄きを飲みし野点かな     
  穀象を探し出しては翫ぶ
  草取るや取れぬものありそのままに
  秋めくや部屋の片隅おそるべし
  一畳の落葉の山を作りけり
  誕生日没年までの冬薔薇
  立春や落雁の鶴口中へ
  花びらをなぐさめもせず花曇
  仰ぎ見る部屋の片隅春の闇
  坪庭に骰子もあり風光る
  忖度と書けぬ人みな万愚節

 板倉砂笏(いたくら・さこつ) 1947年、山梨県生まれ。

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