2017年8月21日月曜日
虚子「子規と短き日その後永き日も」(「夏潮」別冊虚子研究号Vol.Ⅶより)・・
「『夏潮』別冊 虚子研究号Vol.7 2017」(夏潮会)、ブログタイトルにした虚子の句には、〈「ホトトギス」七百号回顧〉の詞書が付されている。この句について、仁平勝「季題の文学」で以下のように述べている。
(前略)ちょっとした名句だと思う。「短日」と「永き日」という二つの季題が入っているが(季が違うので「季またがり」)、どちらも季節感とは関係ない。ことさら解釈は不要だろうが、子規とともに過ごした日々は短かかったが、その後も永く子規は心の中にいるということだ。こんなふうに季題が使われた例は見たことがない。脱帽である。
この他にも、仁平勝は、季題、いわゆる季語について、当たり前の俳人の認識が、意外にきちんと整理されていないことをよく指摘し、虚子の季題(季語)の使いかた、切れについて、現在の俳人が行っているほど硬直してないどころか、きわめて自在に考えていることを明らかにしている。そのことを「虚子の固有の俳句の方法」として述べている。
虚子は季題のあるところにはいかなるものにも俳句はあります。いかなるものも季題のないところには俳句はありません」(『俳句読本』)といった。くれぐれも誤解しないでほしいが、これは俳句の定義ではない。虚子に固有の方法なのである。
と言い、さらに、これらの論の結びには、
ついでに付け加えれば、切れ(・・)の重視もまた発句の遺産にほかならない。先にすこし触れたように、虚子には「平句体」の句が多く、むしろ積極的に切れ(・・)を嫌うこともしばしばある。虚子が「いひ現はしやう」という言葉で主張したかったのは、発句の遺産にこだわらない「新しい俳句趣味」なのである。
と、的確に述べている。
本誌には他にも、当然ながら虚子に関する様々な研究成果が論述されているが、筑紫磐井「虚子による戦後俳句史④ー埋もれた戦後俳句の潮流(抒情派)」も玉藻の「研究座談会」での虚子の評言に焦点をあてて、興味深い。
この座談会を通じて言えることは、客観写生でもなく、花鳥諷詠でもなく、「言葉の作家」としての虚子であったように見える。ホトトギスの経営者としてではなく、純粋な俳句作品の批評者としてみる虚子の姿は、我々が日常いだいている虚子とずいぶん違うものであったのである(もちろん、作家としての虚子はこれまた別の像を持っていたが)。
とあるのは、前述の仁平勝の指摘にも通じているのではなかろうか。
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