昨日。13日(木)は、白石正人の地元・第二回浜町句会だった。椎名果歩の送別句会であったが、愚生は、事情あって、二次会は失礼した。参加予定だった鳥居真里子もダブルブッキングとかで欠席された。よって、次回が数か月後、第三回浜町句会として企画されているらしい。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。当日席題は「桜桃忌」。
闇へ闇クサレタルクサホタルトナル(腐草螢為) 枝 白紙
恐竜の骨を見てきし青葉かな 福田鬼晶
梯梧散る明日命令に従はず 白石正人
梅雨寒や額より高く燭供ふ 椎名果歩
どくだみやひとりごとさえ出ぬ疲れ 市原みお
空調の風箱庭を冷やしけり 福田健太
飛魚や雲の白さの巡視船 三輪 遊
凌霄花君に返事を出すべきか 中西 碧
明治座の目の前に出て桜桃忌 亀井千代志
椎名果歩を送る
思惟の花寄せて果てまで歩むかな 大井恒行
★閑話休題・・大牧広「妻が来て帰りて泣きしほととぎす」(「港」終刊号より)・・
じつくりと冷酒を上ぐ真夜の卓 次郎
と詠んでいる。蛇笏賞授賞式に参列は叶わなかったが、大牧広句集『朝の森』の蛇笏賞受賞は、ついに俳句の頂点に立ったと感慨深かったことと思う。同号に角谷昌子は「現実凝視の作家」と題して、
大牧広は直球勝負の作家だ。暗喩などの修辞法を余り用いず、直叙することで言葉に力を込めようとする。
と記している。その通りだと思う。
敗戦の年に案山子は立つてゐたか 広
背に腹にしかと懐炉や生きてやる
一誌一代もとより北風の吹くばかり
大牧広は、また、俳人「九条の会」に尽力していた。愚生を、その呼びかけ人の一人にしたのも彼だった。金子兜太と大牧広の対談(月刊「俳句界」)に立ち会ったことも良い思い出だ。息女の小泉瀬衣子は「大牧広最後の俳句」を寄せて、
退院してからの父は、まさに鬼気迫る様子で机に向かっていました。ときに机に俯せていることもあり、ベッドで休むことを促しましたが、父にとって「机」は、病からの砦でもあるかのように、少し休んではすぐにまた机に向かう日々でした。
と記している。平成に始まり、文字通り平成を駆け続けて終った「港」。色々お世話になりました。ご冥福を祈る。
大牧広(おおまき・ひろし)、去る4月20日逝去。享年88。
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