2019年6月14日金曜日

中西碧「弾きおえて残心の指桜桃忌」(第二回浜町句会)・・・



 昨日。13日(木)は、白石正人の地元・第二回浜町句会だった。椎名果歩の送別句会であったが、愚生は、事情あって、二次会は失礼した。参加予定だった鳥居真里子もダブルブッキングとかで欠席された。よって、次回が数か月後、第三回浜町句会として企画されているらしい。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。当日席題は「桜桃忌」。

  闇へ闇クサレタルクサホタルトナル(腐草螢為)  枝 白紙
  恐竜の骨を見てきし青葉かな           福田鬼晶
  梯梧散る明日命令に従はず            白石正人
  梅雨寒や額より高く燭供ふ            椎名果歩
  どくだみやひとりごとさえ出ぬ疲れ        市原みお
  空調の風箱庭を冷やしけり            福田健太
  飛魚や雲の白さの巡視船             三輪 遊
  凌霄花君に返事を出すべきか           中西 碧
  明治座の目の前に出て桜桃忌          亀井千代志
    椎名果歩を送る
  思惟の花寄せて果てまで歩むかな         大井恒行




★閑話休題・・大牧広「妻が来て帰りて泣きしほととぎす」(「港」終刊号より)・・


同誌同号に衣川次郎は、大牧広の第53回蛇笏賞受賞を祝って、

  じつくりと冷酒を上ぐ真夜の卓     次郎

 と詠んでいる。蛇笏賞授賞式に参列は叶わなかったが、大牧広句集『朝の森』の蛇笏賞受賞は、ついに俳句の頂点に立ったと感慨深かったことと思う。同号に角谷昌子は「現実凝視の作家」と題して、

  大牧広は直球勝負の作家だ。暗喩などの修辞法を余り用いず、直叙することで言葉に力を込めようとする。

 と記している。その通りだと思う。

  敗戦の年に案山子は立つてゐたか    広
  背に腹にしかと懐炉や生きてやる
  一誌一代もとより北風の吹くばかり

 大牧広は、また、俳人「九条の会」に尽力していた。愚生を、その呼びかけ人の一人にしたのも彼だった。金子兜太と大牧広の対談(月刊「俳句界」)に立ち会ったことも良い思い出だ。息女の小泉瀬衣子は「大牧広最後の俳句」を寄せて、

 退院してからの父は、まさに鬼気迫る様子で机に向かっていました。ときに机に俯せていることもあり、ベッドで休むことを促しましたが、父にとって「机」は、病からの砦でもあるかのように、少し休んではすぐにまた机に向かう日々でした。

 と記している。平成に始まり、文字通り平成を駆け続けて終った「港」。色々お世話になりました。ご冥福を祈る。

 大牧広(おおまき・ひろし)、去る4月20日逝去。享年88。



  

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