2019年6月24日月曜日

江田浩司「『たくさん死ねば/せかいは)/たくさんうつくしい』みぞれはすぐに水にかへれり」(『重吉』)・・



 江田浩司歌集『重吉』(現代短歌社)、著者「あとがき」のなかに、

 二〇一六年十月から十二月に、町田市民文学館「ことばらんど」において、開館10周年記念「八木重吉ーさいわいの詩人(うたびと)-」展が開された。わたしは重吉の手作りの詩集や自筆原稿、写真や遺品を近くに見て、不思議な感情にとらわれた。わたしはその感情にかたちを与えるために、一年間、重吉の歌を詠うことを思い立った。本書の全体の構想が浮かんだのはそのときである。

 とある。最初に、八木重吉の、

   断章
 わたしは弱い
 しかし かならず永遠をおもふてうたふ
 わたしの死ぬるのちにかがやかぬ詩なら
 いまめのまえでほろびてしまへ
                重吉
 の詩編とその裏のページには、

 このちひさな本を八木重吉の御霊(みたま)にささぐ。

 の献辞がある。各15章に構成された歌篇の前には、ほとんどは5行(4行もあるが)の詩が添えられている。例えば、ⅴ章では、

 わたしの追ふもの
 すなほなる思ひににがく
 野をゆく詩(うた)のこころのまま
 よくはれた日に
 もんもんとことばを生み
 夏のかなしみをめぐる

 すずし日のあをぞらまぶしいたづらに夏の野をゆくこころのままに
 うすら陽をあびたる傷はひかりたりわか草もゆるこみちをゆけば

 というように始められる。ともあれ、歌のみになるがいくつかを以下に挙げておきたい。

 ほこるべきなにものもなきはるの日にうす日のなかに手のひらをいれ  浩司
 かなしみを糧にいきたる人ありてちひさな種をはるにはまくよ
 けふもまた力をいれずゆくしろい雲さへあればいいのだ
 なにとなくひるのひかりに照らされてあゆみゆきにしかなしみは肉
 やがてくる詩歌のために生きてます「聖書」に雨のふるときを待ち 
 死を恃(たの)むこころをうたふひとはゆくあきの日にしづかにいかる
 ここに詩があります息をしてゐますこれがわたしの生贄(いけにへ)なのです
 いたづらに稀(まれ)なるひとの詩をおもふこのかなしみよほろびてしまへ
 ひとすぢのあなたの聲にたてこもりこの世もいいとしばらくおもふ
 ふゆのいろ海をわたりてくる祈りひとりのをんなを愛するいのち
 ちちの死とははの死にむきわれあると思へばこころやすらかなりぬ

江田浩司(えだ・こうじ)1959年、岡山県生まれ。




★閑話休題・・・福島泰樹「『革命万歳!』歓声をあげ駆けてゆく難波大助二十四歳」(「現代短歌」7月号より)・・・


上掲の江田浩司つながりでいけば「現代短歌」7月号(現代短歌社)の特集は「現代短歌を評論する会」である。そのパネルディカッション「今、批評のあり方を問い直す」の「席者の声」で、江田浩司は、

  (前略)「現代短歌を評論する会」の活動には、そのような、内なる「歌壇」を超克うことで、外部にある権力や抑圧を行使する装置として歌壇を解体、、あるいは脱臼することを目指すこと。個々の表現者の力を結集して、何ものにもおもねらない、短歌の革新を目指そうというテーゼの理想の実現です。それは自由な創作者としての自己とのあくなき闘いでもあります。内なる「歌壇」の超克による、権力装置としての歌壇の解消は、文学としての短歌の将来にとり最重要課題の一つると思います。

 と述べている。話はかわるが、同誌同号より、福島泰樹の「うたで描くエポック 大正行進曲・三十七章『金子ふみ子の歌』」より、いくつか以下に挙げておきたい。

 天皇の赤子であるに飢えに泣き死んでゆくのはなぜかと問いき   泰樹
 神聖にして侵さざるべき人なるか無籍の者とし、われは生れき
 獄庭に咲くつつじ花、ギロチンに斃れた友の赤いまなざし
 出生地神奈川縣横濱市町名番地悉(ことごと)不詳
 家の中ではらんぷが灯り閉め出され腹をすかしてそれを見ていた
 天帝は見て下さっているのです貧民窟に咲く花となれ
    大正十二年十二月二十七日虎の門、大逆事件発生
 「革命万歳!」歓声をあげ駆けてう難波大助二十四歳
  


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