2019年6月26日水曜日

柴田多鶴子「永き日の半ば朽ちたる釣瓶かな」(『続 小筥携え』)・・



 柴田多鶴子『続 小筥(こばこ)携えー俳句の旅ー」(角川書店)、見開きページに旅先の地名や行事名などと5句にエッセイが付されているという構成である。いわば旅吟とエッセイを収めた一書。著者「あとがき」のなかに、

 あまり丈夫な身体ではなく、外出嫌いだった私が、俳句をはじめてからは猛暑・厳寒・雨天をいとわず句材をさがして出掛けています。また年齢・性別・環境の違う多くの会員と教室や句会で出会うことで心の世界が広がりました。私にとって俳句は、必須アミノ酸のようなもので、元気の源となっています。今後も俳句を入れる「小筥」を持って時間を作り出掛けようと思います。

 と記されている。ブログタイトルにした「永き日の」の句は「伏見」で詠まれた5句のうちの一句である。他に、「弾痕の残る旅籠屋冴返る」「春光の届かぬ宿の裏梯子」などの句もある。愚生も二十歳の頃、京都に3年間居て、一度だけ伏見、寺田屋に出かけたことがある。言わずと知れた寺田屋事件は坂本龍馬暗殺で有名になっているが、歴史上は、その前にも尊王派同士の切り合いの現場となっている。とはいえ、現在の寺田屋は当時のままではなく、移築再建されたものらしい。エッセイにある次の部分などを読むと、下戸の愚生とは違って、お酒もたしなまれるようだ。

 寺田屋のある伏見という地域は、昔から良質な地下水に恵まれていて、かつては伏水(ふしみず)と言われたという。名水のあるところ名酒ありで、土地の名水を利用して酒造りが盛んに行われ、その一つ黄桜の工場を見学した。店の由来である黄桜(鬱金桜)が庭に植えられている。(中略)街にはお酒の試飲をさせてもらえる所もあり、よい匂いが漂う。酒粕、酒まんじゅうもおいしそうだ。

 ともあれ、以下にいくつか旅吟地の一句を挙げておこう。

   ルーアン
 火刑地を訪ねしあとの暑気中り
   フランス国鉄
 野うさぎの穴だらけなり夏木蔭
   ジャカランダの花
 ジャカランダ夏の潮よりなほ青き
   祇王寺・滝口寺
 横笛の寺の色濃き実むらさき
   万博記念公園
 枯れきれぬものの騒ぎて蓮の池
   芭蕉のふるさと
 糸ざくら伊賀の組紐七色に
 
柴田多鶴子(しばた・たづこ) 昭和22年、三重県生まれ。




★閑話休題・・藤井貞和「あけがたのとこに/視界をてさぐりしています」(「四」の「言語集」の最期の2行より)・・


 愚生もぼちぼち、昔のあれこれを整理しているのだが、筥底より同人誌「四」NO.2(制作発売 書肆山田・1982年4月刊・定価300円)が出てきた。「四」は4名の同人のことである。その名は、阿部岩夫・鈴木志郎康・藤井貞和・八木忠栄。詩篇は、みな長い詩なのでこのブログでは紹介しきれない。よって、表紙裏(表2)に記された、署名なき献辞詩を紹介し記しておこう。たぶん「四」の頭韻、脚韻が考慮されている。

  よけ切れない 夜の 酔った余人たちが 四
  辻に 炎える 余燼残るかと よわいも 夜
  っぴて 重ねられて 身を捩る 四月錐
  よれよれの 上衣が 夜風にあまる 横によ
  ぎれと 横っ飛び 余生をけって呼び戻す
  四方の余力を さて 余り酒の 卓上にかわ
  き 一年の二十の四 夜籠もりに よに

 ちなみに4名の詩編の題は、八木忠栄「ある結末による即狂曲」、阿部岩夫「旅の夢に踞る軀」、鈴木志郎康「頬寄せ」、藤井貞和「言語集」。

  

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