2019年6月27日木曜日

平得壯市「差別なき園の生活や風香る」(『飛んで行きたや』)・・・



 平得壯市俳句・短歌集『飛んで行きたやー沖縄愛楽園より』(コールサック社)、集名に因む句は、

  羽あらば飛んで行きたや里の春       壯市

であろう。解説は大城貞俊「慰霊碑の供花に飛び交う夏の蝶」、題は平得壯市の句、

  慰霊碑の供花に飛び交う夏の蝶       壯市

 に拠る。解説の大城貞俊は、

 本句はとりわけ創造力を喚起する。何の慰霊碑なんだろう。なぜ供花が行われたのか。供花は蜜のように甘い希望の喩えなのか。なぜ夏で、なぜ蝶なのだろう。無数の蝶か一匹の蝶か。瀕死の蝶か若々しい蝶か。蝶とは私なのか。作者は元ハンセン病患者で家族との隔離を国家権力によって余儀なくされたのだ・・・・。(中略)
 作品にはハンセン病を患ったが故に、理不尽な差別と偏見に悩まされた一人の人間の苦悩と闘いの日々が刻まれていた。優しさと激しさ、孤独と不安、希望と絶望、自らを励ます言葉、なぜか素直な心で吐露されていた。印象に残る俳句や短歌には表題にあげた作品以外にも数多くある。

 と述べている。また著者「あとがき」には、

 私はだれかに俳句や短歌を学んだことはない。独学で、思うままに日々の感慨を大学ノートに書き綴ってきた。私の作品は、俳句らしいもの、短歌らしいものに過ぎない。日記を書くように短歌や俳句を書いてきただけだ。
 沖縄戦では私の母方の両親が犠牲になった。姉も甥も犠牲になった。だから私は、病への差別や偏見だけでなく、戦争へも怒っている。沖縄の「慰霊の日(六月二十三日)」には、摩文仁に行って慰霊祭にも参加した。昨今の辺野古新基地建設についても大きな疑問を感じる。沖縄を基地の島ではなく平和な島にしたいと思う。

 としるしている。ともあれ、集中より、句と歌をいくつか以下に挙げておきたい。

  激痛の灯下に足を妻こする
  父在らば百と〇(ゼロ)歳曼珠沙華
  村ごとに言葉異なる天の川
  星空に指笛響く沖縄角力(しまずもう)
  予防法撤廃後の生活(くらし)冬談義
  麻痺の指なめて辞書引く寒椿
  偕老のちぎり重ねて花開く
  一年(ひととせ)に二十人も減り逝く園の春
  予防法の歴史の怒濤鰯雲
  なんぶちと呼ばれし悲哀冬昔

  吾が病い必ず癒ゆると信じつゝ父は待ちおり十年経ちても
  みにくくなりし子の現身(うつしみ)を知らずして逝きにし母は幸せならんか
  この病は運命だからうらむなと低き言葉で父は云ふなり
  子の親になれる日あると思わずに子の誕生に喜び隠せず
  縫いあげし浴衣を吾れに着させんと暑さいとわず妻はためさん
  姉の名を平和の礎(いしじ)に確かむる除幕式に急ぐ妻子らと共に
  花嫁の父と呼ばるる晴れの日に出席できず祝電で済ませ
  吾が命刻まれる如く足萎える妻を看とりて八年経ちぬ
  真心に看とりて呉れし看護婦は免許なき故に解任されぬ
  療園に所得格差が憚りて弱者中心の運営乱る
  予防法撤回後の世を夢に見つ余命幾ばく焦るものあり
  吾が命洗わるる如し癩園を出て来て那覇でバスを待つとき

 平得壯市(ひらえ・そういち) 1936年、与邦国島に生まれる。


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