2019年6月23日日曜日

栗林浩「追越せぬものに逃水わが言語」(『うさぎの話』)・・



 栗林浩第一句集『うさぎの話』(角川書店)、序文は高野ムツオ「言葉の多重の光」。栞文に今井聖「栗林浩の中の『少年』」、澤好摩「俳句を書くということ」、塩野谷仁「確かなる視点」。集名に因む句は、

   イギリスのうさぎの話灯を消して    浩

 である。その「あとがき」には、

  俳句を広く勉強する意図で、あえて多くの句会に出席させて戴きました。傾向が違っても佳句や好句が沢山あることを知りました。そのせいで、自分の独自の句柄を完成させていないような気がします。節操のなさを、どうぞご寛恕下さい。

 と謙虚に述べている。栞文のなかでは、澤好摩が以下のように述べているのが、とりわけ印象に残った。

  俳句を書くということは、大げさに言えば俳句形式が誕生して以来、今日までの形式の歴史に関わらざるを得ないということを意味する。それは形式の歩んできた過去と現在を意識しつつ、ひいては明日の運命を考えることでもあるに違いない。とは言え、これは短時日に実現可能なことではなく、不断の努力の結果、次第にその人の思想として顕現してゆくものであろう。この点に関しては、氏の評論活動を通じて自得された部分が大きいと思われる。
   
 それらを評して高野ムツオは序文の結びに、

 語り口は穏やか、ときにメルヘン的、ときにユーモラスだが、鋭い批評の光が言葉の背後から多重に差し込んでくる。その光こそ栗林浩の俳句の魅力である。

 と述べている。栗林浩は、今は亡き最初の師・磯貝碧蹄館「握手」で研鑽されていた。だから、最初に紹介を受けたのは糸大八からであったかも知れない。これまで、栗林浩は批評的散文を書き、なおかつ句を書くという両つながらの道を選んできた。それも驚くべき進化をともなってであった。ともあれ、本集の中から、いくつかの句を挙げておきたい。

   痛むゆゑ膝折る象や秋時雨
   ほうたるや息するたびに火が点いて
   もう二度と蟬は通らぬ蟬の穴
   中ほどがさびしい花のトンネルは
   影ばかりおつうが鶴でゐるあひだ
   二人きりなのに耳打ち小米花
   無骨とは骨のあること鬼房忌
   花菜漬いまなほすこしだけ左翼
   行く夏のからとむらひか沖に船
   手の蜜柑放る真似して放らざる
   北限の花野を無蓋列車行く
   大根を吊るだけと言ひ釘を打つ
   かまくらを出て知る星の高さかな
   腕なき抱擁の像ぼたん雪

 栗林浩(くりばやし・ひろし) 昭和13年、北海道生まれ。

esua

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