2018年5月13日日曜日
墨作二郎「いつも奈落の 大きな下駄に履きかえる」(『尾張一宮在』)・・・
墨作二郎『尾張一宮在』(昭和56年、初版限定500部私家版・平成6年再販)、序文は山村祐。跋文は定金冬二、解説は川崎三郎。すべて鬼籍に入られている。墨作二郎は平成28年12月23日、享年90、天寿を全うした。序のなかで、山村祐は墨作二郎との出会いについて、
私が作二郎と知り合ったのは、当時の革新的な川柳作家たちが昭和三十二年始めに創立した全国的な団体「現代川柳作家連盟」の初期の頃かと思う。その機関誌「現代川柳」や、河野春三氏の「天馬」今井鴨平氏の「川柳現代」などへ精力的に作品を発表していた。(中略)
俳句→長律川柳→現在の句風、とかなり著しい変貌を遂げてきたもとが解る。
しかし彼の作品は、いくら長律でも、決して説明臭に陥ることのなかったのが鮮やかな印象として残っている。(中略)現在の作品を読むと、俳句のすぐれた要素—特に切字の思想などを、川柳のなかでいかに活かすかということも、かなり意識的に試みているように感じられる。
と記している。愚生が今、作品を読むと、いわゆるかつての前衛俳句風なのである。その意味でたぶん当時のいわゆる前衛川柳もいわゆる前衛俳句もほとんど表面上は見分けがつかなかったのではないだろうか、と思う。そして、その作品の難解さについて、定金冬二は、跋に、
「肌で感じる作品があってもいい」というのがぼくの考えだが、作二郎の作品にはそれが多いようである。
肌で感じたものが、心にかげを落とす。そのかげを手掛かりに作品に食いついて行かないと、その努力をしないと、いつ迄も理解はできまい。
と述べている。また、解説の川崎三郎は、
しかし、川柳表現の喩に独白性が深くなることは、いいかえれば作品を喚起する批評性がしだいに希薄になることに鋭くつながっている問題なのである。川柳表現の本質的なつよさに諷刺や笑い、うがちなどがきわめて重要な意味をもっているが、川柳の独白性が強くなっていけばいくほどこの要素が淡白になっていくように思われてならない。勿論、諷刺や笑いやうがちといっても、その方法をそのまま古川柳に直結させるわけではないが、この要素は川柳形式のような短い表現方法を自在に自立させるためには多分に重要な意味を果たしているといってよいのである。
という。本集の成り立ちについては著者が「あとがき」に、
昨年四月三十日、名古屋での勤務を終えて帰堺した。三年二ヶ月、この三度目の単身赴任生活もまた川柳によって啓発され、大いに精神安定の支えになったものと思っている。過去、札幌時代を「凍原の墓標」とし、東京時代の句会作品を「東京」として纏めたように、この句集「尾張一宮在」も同じ意味と存在責任を果すものである。
と冒頭に記し、
次に作品配列は作句順と関わりなく、一宮在住期間を一期として思うままにした。一字アケ一頁二句建ては言語空間の「読み」に応えたつもりである。
何れにせよ、川柳の持続と近代性を考えた場合、現代川柳は今ほど困難なことはない。その渦中にあって私は「より一層ひるむことなき発展を遂げるべき」川柳の将来を思っている。他のジャンルの短詩形文学よりも高い可能性を信じている。
と述べている。川柳にも川柳作家にも熱く滾っている時代があったことを思う。だが、それは、いまだにその提出されている課題は続いているといっていいのだろう。現在只今も現代俳句と同じく過渡の詩として奮闘中なのである。
ともあれ、集中いくつかの句を以下に挙げておこう。
ばざあるの らくがきの汽車北を指す 作二郎
駅の全長 静かな花と人は去る
少年の うしろの闇は地に坐る
砂時計 きよう一日は萌黄する
神さまは許してくれる 綱わたり
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