2018年5月31日木曜日
矢田鏃「露何か無残ににがき絞り水」〈「連衆」NO.80より)・・・
「連衆」第80号、平成元年に谷口慎也が創刊して30年の個人誌である。現在は実に多くの個人誌が存在するが、当時は個人誌がほとんどなかったように思う。ただ、現在の個人誌の多くは、発行人である個人がすべてを負担しているようだが、「連衆」はたぶん掲載料をその都度払うシステムだったように思う。
愚生と、谷口慎也は一度だけだと思うが会ったことがある。東京で「谷口慎也を囲む会」を妹尾健太郎が企画した会で、攝津幸彦も健在で一緒に出掛けた記憶がある。
愚生が編集人だった弘栄堂書店版「俳句空間」の俳句時評をお願いしたこともある。当時(30年前)、若手の有望な俳人として、九州にこの人あり、と思っての依頼だった。
ブログタイトルに挙げた招待作家・矢田鏃は、耕衣「琴座」の同人で注目していた俳人の一人だった。「琴座」終刊ののちは何処にも属さず、孤高の印象だったが、最近は、「琴座」の系譜につらなる「らん」で健吟の様子である。昭和28年、大分県生まれというから、愚生より5歳も若い。まだまだこれからの人である。本誌より他の句を挙げておこう。正調である。
満月は曇らざりける柱かな 鏃
朝顔や真午の影の多かりき
或いは北或いは西と蟻の道
「連衆」誌には、実は「豈」の同人と被っている人も多い(もっとも、「豈」はこのところ一年に一度の刊行がやっとだから、作品発表への意欲旺盛な作家はそれでいいと思う)。以下に、「豈」同人にプラス、愚生が知っている人の句を挙げておこう。
ブラスバンド雨に濡れをり星条旗 夏木 久
春寒の骨美しく写されて 羽村美和子
黄色な「い」を呼ぶうすくらがりの「ん」 普川 洋
老人や鯛の半身が反り返る 松井康子
春コートのをんな大きな荷物かな 瀬戸正洋
死んだもの死んでないもの恵方より 森さかえ
ケネディーの脳天からのあげひばり 川村蘭太
渡り鳥呼び込むように砂の息 加藤知子
初櫻取っ手付かないドアばかり 鍬塚聡子
舟遊び人語歓語を乗せて行く 吉田健治
記紀・万葉なべて被曝と云う空よ 谷口慎也
突かれて突かれて断崖絶壁 情野千里
その他、藤田踏青「前号十句選評」の、「日常に拮抗して自立する言葉を追跡するのは難しい」の言葉にも苦闘が伺えた。
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