2018年5月29日火曜日
白石かずこ「熱い 暗い 夏が 独り すわっている」(『白石かずこ詩集成Ⅰ』より)・・・
『白石かずこ詩集成Ⅰ、Ⅱ』(書肆山田)、もうすぐ刊行の第3巻で完結する。各巻投げ入れの栞文には、付録として、これまでに過去に書かれたものの再録と新たに書き下ろされたものとが併録されている。因みに1巻付録には四谷シモン「ぷくぷくと・・・」(2017年)、森茉莉「菫色のマントオ」(1969年)、吉岡実「白石かずこと詩」(1968年)、大岡信「白石かずこの詩」(1975年)。2巻付録には、平田俊子「無垢と無心」(2018年)、笠井叡「ダンス作品『今晩は荒れ模様』に至るまで」(2018年)、蜂飼耳「天然の詩人・白石かずこ」(2018年)、八木忠栄「エピソード三つーそういう人」(2017年)、水田宗子「白石かずこと水無川のほとりで。」(2018年)。高橋睦郎「かずこ詩試論」(1968年)、伊藤比呂美「真理」(2018年)。
ブログタイトルに挙げた一行は、「死んだジョン・コルトレーンに捧げる」という詩の中の一行だ。この詩を「かずこ詩試論」の最後に引用した髙橋睦郎は、およそ50年前に以下のようにも書いている。
(前略)常識的に言えば、離婚は典型的な不幸である。しかし、かずこのような本来的に天上性の聖女にとっては、まず以って結婚じたいが不幸である。不幸は不幸を以って癒されなければならない。すなわち、結婚は離婚によって癒されなければならない。そして、ジャズとは私のごとく初歩的な理解によれば、原罪的な不幸を嘆きと叫びで克服する一種の儀式である。したがって、これらに影響されたかずこの新しい方法とは、不幸を克服するのに不幸を以ってする方法でばければならなかった。
あるいはまた、伊藤比呂美は栞文の結びに、
真理ですよ。
かずこさんは真理を語っていたのですよ。
もっと若い時に聞いておけばよかった。そして今は思うのだ。かずこさんが身を張って、「女」であることに流されず、妥協なく、こうやって性を、性行為を、性的なことを、ことばで表現する道を切り開いていってくれたから、後から行く道は歩きやすくなっ
ていた。
と記している。愚生はといえば、白石かずこを追いかけるように読んできたわけではない。しかし、若き日、書店の棚にあった『聖なる淫者の季節』を躊躇なく買ったことを覚えている。その後は、加藤郁乎賞の授賞式に必ずといっていいくらいに駈けつけていた白石かずこを見ていただけだ。彼女がお兄ちゃんといっていた郁乎は七年ほど前に逝った。
本集成Ⅱの「単行本未収録詩篇1968-1978」の「人が死ぬ」にその郁乎が出てくる。
人が死ぬ
誰が死んだ?
お母さんが死んだ
イクヤがいう
犬は裏でなく 腹がすいたといい
男は表でなく 別れたくないといい
だが、四月は桜が咲き
雪が トツゼン ふり
人が死ぬ
人が人と別れる
(以下略)
栞のなかでは、とりわけ、森茉莉「黄色のマントオ」が、白石かずこをその人を髣髴とさせるようなタッチで描かれていて、心に沁みた。
撮影・葛城綾呂 チェリセージ↑
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