2018年5月30日水曜日

西行「見るも憂しいかにかすべき我心かゝる報いの罪やありける」(『批評の魂』より)・・



 前田英樹『批評の魂』(新潮社)、「批評の魂」の初出誌は「新潮」2016年1月号~12月号、2017年2月号~5月号まで。最後の第16章「批評が未完の自画像であること」の結びは、昭和54年秋、小林秀雄と川上徹太郎の最後の「文學界」誌上で行われた録音盤を聞きながら前田英樹は以下のように述べている。

 ふたりは、共に、したたかに酩酊し、こう言い合う。「批評家って、居ないもんだなあ」。この言葉の孤独に、私は涙が出た。しかし、それだけではない。批評の魂が、どれほどの深みから人間を救うものであるか、生きることを教えるものであるか、そのこともまた、私は信じ直すほかなかったのである。

また、別のところでは、

 孤独な未完の自画像を描き続ける批評の魂は、停滞を知らない。仕立て上げられた知識の凝固も腐敗も、ここでは無縁のものだ。批評の魂が頼むものは、「万事頼むべからず」という、確認され続けるこの意志である。だが、このような意志は、一体どこから、どんな具合にやって来ることができるのだろう。これについて、何かをはっきり言うことは実に難しい。(中略)
 そこにある言葉はみな、白鳥が持つ魂の底からの素直さ、正直さ、在るがままに在る物への真っ直ぐな信仰、いかに生きるべきかを求め続ける澄んだ、裸の心、そういうものを指す。批評の魂を支え、養い続けるものは、この賦性以外に実はない。これは、いかにも解らせにくいことだろう。

という。批評の魂とは、実に痛ましくも、沈黙の淵に沈むかのような何かであるのかもしれない。苦闘といえば苦闘のなかに我が身をさらすことの謂いであろうか。
 因みに、ブログタイトルに挙げた西行の歌は、「地獄絵を見て」と題される連作の一首である。それを、「『彼の悩みは専門歌道の上にあったのではない。陰謀、戦乱、火災、飢饉、悪疫、地震、洪水、の間にいかに処すべきかを想った正直な人間の荒々しい悩みであった』(「西行」)。
 西行のこの歌をこのよう読み、語り切った人間は、小林の前にはいなかった」と前田英樹は述べている。
  話題を転じるが、愚生が30歳代の約10年間、新陰流兵法を学んだ折りの事実上の師範代が、まだ大学院の学生だった前田英樹だった。愚生は、その刀勢稽古を離れてしまったが、素振りをするわけでもないのに、いまだにその時に使っていた、木刀、模擬刀、袋竹刀を棄てられずにいる。傍にあるだけで少し落ち着くのである。前田英樹は、今は自宅近くに道場を持ち、午前中は執筆、午後は道場に出向いて、真剣での一人稽古をすると聞いた。文武両道とはまさに彼に与えられた道のようである。その魂は見事に一体なのである。またも前田英樹は言う。

 「自我」とは、近代ロマン主義が高唱した例のヨーロッパ式自意識のことではない。近代に蘇り、新たに覚醒した「士魂」のことである。したがって、彼らが「日本のアウトサイダー」たることを強いられて産み出した「自我の文学」とは、日本の近代にはっきり在らねばならない〈士大夫の文学〉のことだった。

  前田英樹(まえだ・ひでき)、1951年、大阪生まれ。



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