2016年9月22日木曜日

齋藤愼爾「われもかうあらねば断念の吾亦紅」(『陸沈』)・・



愚生は「陸沈」と言えば、なんといっても永田耕衣を思い出す。96歳翁だった耕衣は,
当時「陸沈居士」を名乗っていた。また評論集『陸沈篠篠』もある。永田耕衣続俳句集成『只今』には、神戸の震災以後の未刊句集『陸沈』が収められている。その伝でいけば、齋藤愼爾句集『陸沈』(東京四季出版)もまた、東日本大震災を負っているように思えた。
加えて本句集には齋藤愼爾とは誰れか?というにはこれ以上ないと思われる栞文と解説が武良竜彦によってなされている。「〈喪郷〉の眼差し」と「葬送の螢袋」で、豊富な引用句とともに、齋藤愼爾の現在をよくとらえている。さらに著者自身による「〈原発が廊下の奥に立つてゐた〉ー危機『後記』の試み」と「魂の気圏のなかでー私の俳句遍歴」が著わされているので、読者にとってはこの上ない道案内役を果たしてくれている。その武良竜彦の解説の末尾は、

  氏は一貫して戦後日本人の風土喪失的精神の空洞を、逆説的な「望郷」という独自の文学的主題を立ち上げて詠み続けてきた。そのこと自身に現代日本を撃つ強烈な批評性が宿っていた。その文学的役目が終わりを迎えようとしていることを自覚し、齋藤氏は静かにその手法の衣を脱ごうとしているように見える。
 そしてこれからの自らの行く手を予見するかのように、この句集『陸沈』のラスト二章に、超時空、超宗教的視座から「今」を撃つ「中世」「記憶のエチカ」の章を置いたのに違いない。

つまりは、愚生が付け加えるべきものは、何もない。直接句集にあたられるのがもっとも相応しい、のである。
ここでは、以下に、珍しく吾の出て来る句が、愚生の目に止まったので、紹介して挙げておきたい。

   血をうすく眠るや吾れの涅槃変        愼爾
   鳥引きてわが身を杭と思ひけり
   藤垂れて他界に畢竟吾は居らず
   山霞み谺は己を忘じをり
   われ思ふゆゑ螢袋の中にあり
   一柱に己が身舫(もや)ひ冬籠
   蚊帳のなか転生の螢汝か吾れか
   汝と我非在となりて雲に鳥
   病める世に生絹のごとき自裁あり
   我が廃句「危・毀・飢・棄・忌・綺・戯」死人花

齋藤愼爾1939年生まれ。


   

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