2016年9月23日金曜日

白頭 金里博時調詩集(秋山一郎訳)『永遠の躑躅』(オルレビッ)・・・



金里博時調(キム・リバクしじょう)詩集『永遠の躑躅(つつじ)』(オルレビッ)、ハングルはまったく読めない愚生なので、ひたすら訳文のみを読んでいる(ハングルの全部に日本語で対訳されている)。時調の形式についても朝鮮の短い定型詩で、発音はシジョ、日本語読みはジチョウくらいの知識しか持ち合わせていない(ただ、金里博はシジョウとしている)。本集の多くは三行で書かれているが、最後の編は5行や7行、8行がある。著者序文に、

(前略)この「永遠の躑躅」に載せられた時調を包む言葉は全て漢語ではない固有韓国語でなければならず、文字も漢字混ざりではなく、ハングル以外では表記できない言葉や文字は一切使わないという信念に基づいて創作したので第一時調集「一途」とは大きく違った作品と言える。(中略)
筆者は数え年三歳の時、すなわち日本の植民地統治時代に大日本帝国の強制的「徴用令」に基づき日本に渡ってきた在日子孫だからこそ故郷への愛と思いは、少々傲慢な言い方だが本国の同胞よりも清く熱く、それ故に自然に時調の主題が国への愛や、南北同胞への愛、そして韓国語・ハングルへの愛に傾けられた。それは筆者の最も大きな願いが一にも二にも統一祖国であり、一つの民族となった韓民族だという信念の表れであることを意味する。(以下略)
                                       
と記されている。他に祝辞に金昇坤(キムスンゴン)元建国大学副総長・文学博士「熱く国を愛する時調歌人・一明(ハンバク)氏」、キムジョンテク前ハングル学会会長・文学博士「在日コリアンの熱い魂を歌う詩人」、序文に、李閏玉(イユノク)(詩人、韓日文化調和研究所長)「たとえ、今日は泥の中に囚われていようと明日は・・・」、岡山善一郎天理大学教授「一房の花」、跋文にキム・ヨンジョ新韓国文化新聞(電子版)発行・編集人「キム・リバク詩人を思う度(たび)に自分が恥ずかしい」など。さらに著者あとがき冒頭には、以下のように記されている。

この第四時調集「永遠の躑躅」は過去に上梓した諸時調集と比較した場合その表記において顕著な変化を読み取る事が出来よう。
すなわち、この第四時調集には一句一言といえども漢語は使われていない事と過去の作品から転載した作品をも全て改めて「非漢語」純韓国語に正して掲載している。周知のように「時調(シジョウ)は韓民族の魂であり美であり智慧でもあるからだ。

最後に本集の集名となった作品といくつかを紹介する(引用はすべて訳文によっている)。

 26.永遠の躑躅

「私の花は山つつじ、桜ではない!」と
我が子を愛(いと)おしみ教え育ててくだされた父母
異国で閉じた命なのだけれど二つと無い誠だった

 62.魂(3)

踏みつけられ八十年、統一を望んで四十年
在日同胞はその日の為にいつも準備している
今年も渡り鳥は先を競わないで飛んで来る

 73.日本の猛暑(2)

日は叔父(おじ)が逝き、明日は誰が逝くのだろう
日本で身罷った方たちの霊が今も彷徨(さまよう) 
南北はどうしてこうも遠いのか・・・

 112.秋分

冬至と夏至の間にゆっくり春は来る
母が炊いてくれる冬至の小豆粥
南北が一つになり万年を生き抜きたい

白頭(ハンパク) 金里博(キムリバク)(在日本韓国文化協会 会長) 1942年韓国慶尚道昌原郡(現昌原市)生まれ。





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