2019年1月14日月曜日

佐々木鳳石「お鑑も小さく戦火の新春祝ふ」(「川柳で知る戦争とくらし」1より)・・



 田村義彦「川柳で知る 戦争とくらし」(東京新聞夕刊・連載)、その第1回目に、

 七十年以上前、この国は戦争をしていました。米英中心の連合軍と。で、勝った勝った万歳は緒戦のころだけで、やがて連日連夜の空襲に逃げ惑う日々が続きました。
 その爆弾が雨のごとく降る中、発行し続けた川柳誌があった。現在も刊行中の「川柳きやり」と「番傘」。リアルタイムの戦時下の世相と庶民の思いが凝縮された句は戦乱の中の究極のショートショートだ。本当のことは言えない言論統制下で、工夫の表現で庶民が伝える戦争の実相。

 と書かれ、川柳作品が掲載され、現在連載は6回目まで来ている。俳句と同じ五・七・五の形式をもっているためか、愚生にも興味がある。戦前、新興俳句運動は昭和十五年の、いわゆる新興俳句弾圧事件によって、壊滅し、そこに馳せ参じた多くの若き俳人たちは沈黙し、獄に繋がれたものは病死した俳人もいた。しかし、新興俳句が弾圧を受ける前に、さらに、三年も早く昭和十二年に弾圧されたのが新興川柳だった。

  手と足をもいだ丸太にしてかへし   鶴 彬
  屍のゐないニュース映画で勇ましい

 は、昭和12年、治安維持法違反で再び逮捕された鶴彬は、翌年13年に獄中死する。享年29だった。俳句にも自由律俳句の山頭火に、似た発想のものがある。

    傷戦兵士
  足は手は支那に残してふたたび日本に 種田山頭火

 山頭火は放浪の俳人として名高いが、関東大震災直後、東京に舞い戻っていた山頭火は、主義者と間違えられて、留置されたこともある。

 ともあれ、東京新聞連載を楽しみに読んでいる。その中のいくつかの作品を以下に挙げておきたい。ただし、出典の句は「川柳きやり」と「番傘」のみだと断り書きがあった。

  嘘ばかり聞いて三年八ヶ月    合田笑宇坊
  童話本にも配給といふ活字     小川舟人
  配給の豆腐と肉がかち合はず    田中南都
  売つてやる売つて頂く列にらむ   宮川春渉
  大根の葉捨てる娘を叱りつけ      白秋
  箱野菜せめて半坪ほしく住み    菅野十思
  気前よく羊羹切つて出す落語   矢田貝静吉
  酒に縁なく一月の日記書く      句沙彌
  陶製のアイロンもある新家庭      為雄
  胃ぶころも戦ふ日日の続くなり   水谷要人
  綿供出座布団にする藁を打ち      修雅
  敢然と女性が挑む御堂筋      森本 一

 たまたま、本新聞の上段には、上野千鶴子と荻上チキの新春対談が4回に渡って掲載されていた。その中の上野千鶴子の発言に、

  フェミニズムは女も男のように強者になりたいという思想ではありません。弱者に寄り添ってきた女という経験の中から、弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想のことです。自分だけ勝ち残ろうとする自己決定・自己責任のネオリベ思想とは相いれません。弱者が生きやすい社会は、強者も生きやすいはず。ひとは依存的な存在として生まれ、依存的な存在として死んでいきます。それを受け入れたらいいではありませんか。

 とあった。なかなか難しいことだが、原点かも知れない。

田村義彦(たむら・よしひこ) 1941年、北海道釧路市生まれ。



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