2019年1月23日水曜日

永田耕衣「コーヒー店永遠に在り秋の雨」(「らん」第84号より)・・・



「らん」第85号(らんの会)、特集は「岡田一実第三句集『記憶における沼とその在処』を読む」。同誌中に「永田耕衣を英訳する」(連載第二回ー『殺佛』『殺祖』)がある。選句と英訳は鳴戸奈菜&M・M/解説M・Mとある。それには、

 前号に引き続き、耕衣の英訳の試みである。鳴戸奈菜さんと南柏のカフェラナイで、金子晋編『続耕衣百句』を読みながらああでもないこうでもないと議論するのがいつも楽しみだ。まず『殺佛』から五句。

 と緒言が記されてある。例えば冒頭の句は、

  晩年や狭庭を踏むも天揺るる
  late in life:one step in a tiny garden
                           and the whole world shakes 
                               (愚生注*「l」は大きく書かれているが「L」ではない)

  日本の小説を英訳すると短くなる傾向があるが、俳句の場合、英訳でやたらと長くなる句もある。(中略)例えば「天」よりthe whole worldはかなり長い。天だからheavenあるいはthe heavensにする手もあったが、そうするとキリスト教臭くなる。それに耕衣が揺らすのは空でなく地上だろうと奈菜さんが言うので、結局「全世界」が揺れている句となった

 と、面白く読ませてくれる。あと一つ、皆川燈連載「雨の樹のほうへ46 清水径子の俳句宇宙」の冒頭に、

 昨年十一月に、詩人の秋山清を偲ぶ〈コスモス忌〉に参加した。毎年様々な講師を招いて詩歌や文学をめぐる貴重な講演が行われてきたが、第三十回のこの日の講演は原満三寿氏の「俳人・金子兜太の戦争だった。

 とあって、かつて三十年近く?前になるであろうか。渋谷の多賀芳子宅で、多賀芳子に「バカオオイはウチに来なさい」と言われて、当時、「海程」が兜太の主宰誌になったのを機に退会、谷佳紀と「ゴリラ」を発行していた原満三寿、また森田緑郎、小泉飛鳥雄、渋川京子、吉浜青湖、先日亡くなった谷佳紀などとの句座を(いつも一升瓶を持参していた原満三寿)を思い出したのだった(鳴戸奈菜句集の勉強会もそこであった)。そしてまた秋山清の長子・秋山雁太郎が当該の一人だった教育社闘争の現場を思い出したのだった(雁太郎氏は元気だろうか・・)。
 ともあれ、同誌より以下に一人一句をあげておこう。

   夜長に千回お辞儀し名刺と化す      M・M
   天までの螺旋階段時雨けり      嵯峨根鈴子
   原爆ドームは螇蚸の大きな目玉である  山口ち加
   梟を肩にあたまは愛撫せず       矢田 鏃
   国家とは工事現場か冬の暮      もてきまり
   老い方が足りぬしろばなさるすべり   皆川 燈
   みそかごと小悪魔が来る吊し柿     三池 泉
   端麗な葱居酒屋にやすらえる      藤田守啓
   残る虫強き声音の一つ立て       服部瑠璃
   抽斗の奥に抽斗冬すみれ        西谷裕子
   我は吾と遊びて満足秋夕焼け      鳴戸奈菜
   唐突に雌鹿の夜となつてをり       月 犬
   少年はまだ夢のなかきりぎりす     関根順子
   だつたら生きろよ息白いだろうが     水 天
   一歳と七十五歳に正月が来た      清水春乃
   あの頃はあの頃として年新た      柴田獨鬼
   枯れ尾花しなやかに揺れ軽やかに骨  佐藤すずこ
   ボリビアの移民の列に冬来たる     久保 妙
   カタカナとさびれた釘と枯蟷螂    片山タケ子
   菊吸や茎に微塵のひかり入れ      岡田一実
   須佐之男がラセララセラをにらみけり  海上直士
   影の影の影から入る本当の琴柱     五十嵐進
   旅果ててリュックにしまう冬の沼    結城 万 



          撮影・葛城綾呂 寒中のセージ↑

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