2020年5月19日火曜日

大井恒行「『思い』を書くというのは気恥ずかしいかぎりだ」(「牧神」マイナス3号より)・・

 



 「牧神」マイナス3号(牧神社・1973年7月刊)、この冊子も、資源ゴミ回収に合わせての整理中に発見した、先日の「枯野」創刊号(南方社)と同じく、全く忘却していたけれど、パラとめくると愚生のミニ・エッセイが掲載されていた。勤務先に吉祥寺・弘栄堂書店とある。短文なので備忘のために、以下に抄出しておこう。俳句とは無縁、仕事上のことである。題は「ポケットのほこり」。

 (前略)僕の書店の日常の業務というのは、そのような「思いの丈」ほどには、どうあがいてみたところでほど遠いという感じをまぬかれがたい。それは、ひとえに僕自身の仕事に対する愛着の無さから生じた、日々の送り付けによる多量の書籍の山から生じたり、それの有様はさまざまであるが、とにかく、売り上げ予算の設定された所で、売上げを無視して、ぼくのわずかな「思い」を実現するには、やはり蛮勇とやらが、少なからず頭をもたげなければならない(小心者ハ匹夫ノ勇)。
 匹夫の勇も、たまには、その思惑を跳びこえて、今回のように「アリスの絵本」が素晴らしい売れ行きを示すと、僕の「思い」は、またたくまに「売り上げ」に直結して、「売り上げ」という怪物が断罪してやまぬところの罪だけは免れ、ザマーミロ!という具合の日々是好日をかこつのである。
 こうして僕の日常における「思い」というのは、必らずしも鮮明な出現を用意されているのではなく、いつもポケットの端にほこりがたまっている。そうのようなもので、何かの拍子で落ちてしまいそうなたよりないものなのである。
 いずれにしても、人が他の何ものかに関わる場合に、少なからず何らかの「思い」を抱き、その「思いを思う」ことによって、「思いの丈」の高さを遠望しながら、さらにまた「思いの丈」を延ばし、その「思い」が遠ざけられていく分だけエネルギーのしたたかな蓄積を用意する。あるいはまた「思い」を思わなくなる。(中略)
 とにかく、いまは、様々な「思い」のありようは別にしても、「思い」を「思いつづける」人にこそ称賛あれと希っている。。それ以上に「思い」を書くというのは気恥ずかしいかぎりだ。

 当時、思潮社から分かれたかたちで出発した牧神社の初期出版の『アリスの絵本』(高橋康也・種村季弘編)を、愚生が勤務していた書店で多く売ったので、版元から何かの便りを書くことを求められたのだろう。まったく忘却の彼方だ。思えば47年前、愚生25歳の時のこと・・・。
 思い出した余談に・・、牧神社では『鈴木六林男全句集』が出て、その牧神社から静地社が生まれたようなものだが、その静地社からは確か、坪内稔典『俳句の根拠』、夏石番矢『猟常記』『俳句のポエティック』が上梓されたように思う。
 一方、牧神社にいた渡辺誠が北宋社を起こし、そこから、愚生がいた弘栄堂書店闘争の本を出してくれた。それが『本屋戦国記』(北宋社・1984年)である。


 そして、北宋社からは、後に、仁平勝が一ヶ月で書下ろした『江川卓の抵抗と挑戦』(1989年刊)、さらに現代川柳のアンソロジーの嗃矢ともなった『現代川柳の精鋭たち1 28人集』(2000年刊)、『新世紀の現代川柳20人集』(2001年刊)と続いた。


 



  こうして、振り返ると、『本屋戦国記』を上梓して、まもなく、愚生は、会社から、書店現場を離れて、吉祥寺店から小岩店に転勤し、独りでの隔離就労を条件に、組合弱体化を狙った会社側と、愚生の思惑の双方が渡りに舟のかたちで、書肆麒麟(澤好摩)から総合俳句誌「俳句空間」の発行を受けつぐことになったのだった。
 その5年後、もともと「俳句空間」は赤字でいいと、低賃金の愚生一人ぐらいは何とかなるという余裕も、バブルもはじけて、出版業は廃業、今度は、愚生を文具売り場への転出と同時に、ならばと条件を出しての地域合同労組の活動に足を踏み入れた。その傍ら、ワイズ出版による髙柳重信『俳句の海で』(1995年刊)、中西ひろ美句集『咲』、富岡和秀句集『魔術の快楽』などの出版に漕ぎつけたのだった。あれもこれもすべて四半世紀前のことになってしまった。
 愚生はと言えば、奇しくも、弘栄堂書店の会社解散日と定年退職日が同日(12月31日)になった。それでも、企業閉鎖による退職金条件交渉は争議となり、会社解散後も4月ころまでかかって、ようやく東京都労働委員会の斡旋より、社員はともかく、十数年に渡る長期間、事実上の定めのない雇用だった臨時労働者にも退職金を払う(残った組合員のみになったが)ことで合意に達し、和解したのだった。


          

         芽夢野うのき「車輪梅ひとよふたよを駆けめぐる」↑

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