2020年5月11日月曜日

梨地ことこ「月ハシル卑弥呼ノ鏡ハシルハシル」(『鏡ハシル』)・・




 梨地ことこ第一句文集『鏡ハシル』(青磁社)、帯の惹句は坪内稔典、それには、

 梨地ことこをよく知らない。/でも、なんだか親しい。/とてもわがままそうである。
だが、とても繊細な人だ。/俳句はうまくない。/ところが、文章は楽しいのだ。

 とある。本集中には、「ことこ五十句」と「ひろのベスト8 火箱ひろ」がある。巻尾のエッセイ「たんぽぽ」には、その火箱ひろが登場する。

(前略)「これタンポポついでに言うて大原野」、この言うた人は火箱ひろさんである。彼女は道沿いに咲く野の草を指差しながら、「これ、〇〇、これ××、これ踊り子草・・・・・」と誰に言うとなく口遊んでいた。
「ちがうちがう、それは仏の座。踊り子草はこっち」
そして、ついでに続けて
「これタンポポ」
実のところ彼女は、みんなの火箱さん、つまり所有格付きなのだ。(中略)
「火箱さんは、船団のマドンナです」

こんな火箱さんである。そんな彼女でさえというか、だからというか、春の野に出ると心が解かれるのだろう。その軽さ伸びやかさが、固くなりがちな私の胃の腑に飛び込んだ。(中略)先の「ついでに言うて」は、詠んだというより一瞬をそのまま切り取ったにすぎないのだが、火箱さんのちょっとした心弾みが、私へ。(中略)
 愉しいって、波動のように伝わって行く。

  ドミノめく愉しさぽぽっとタンポポよ

という次第である。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておこう。

  姜尚中話せば桜はらはらと        ことこ
  上野千鶴子ほどよく熟してマスクメロン
  「にいちゃん、節子のお守りほら、螢」
  柿たわわ安藤忠雄の教会の
  新米の粒々イチローのエレガンス
  月へ月へ鼈あゆむ只あゆむ
  遠いなぁカバの背なかと綿虫と

 梨地ことこ(なしじ・ことこ) 1946年、京都市生まれ。



  

★閑話休題・・・妹尾健「サッカーボール長く置かれて都市封鎖」(「コスモス通信 とりあえず二十五号〈夢についての断章〉」)・・・


 京都在住つながりで妹尾健「コスモス通信 とりあえず二十五号」、なかに芭蕉の句をいくつか引いて(「木曾の情雪や生きぬく春の草」「物いへば唇寒し秋の風」「梅が香や見ぬ世の人に御意を得る」など)、

(前略)これが芭蕉の元禄年間に到達した心境である。これを何と名づけようと僕には興味がない。俳諧はここに存在感を表現しなければならなくなった。
 この存在感は俳諧の強みである。情に流されるものでもなく、理にかちすぎるものでもなく、あるいは細くこまやかものでもない。あくまでもあるがままの境地である。夢はどこへいってしまった。苦い絶望感もない。あるのは覚醒あ存在感ばかりである。俳諧はこれらを表現したとき、あるユーモアを表現することとなる。このユーモアが俳諧の要諦である。

 と述べている。ともあれ、いつもながら、百句におよぶ「句日記」の句から、いくつかを以下に挙げておこう。

  遠足もなき一人っ子ありついてくる     健
  一人も青年見ず陸上競技場
  蝌蚪動くやがて知恵の輪生えだして
  電燈を消して父と母との今日終わる
  春泥の足をとられる母を見よ
  卒業式なくて卒業生と並ぶ


  
                            

       撮影・鈴木純一「紫の謂はれは何ぢや沢桔梗」↑



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